13b 手本歌/現代
島木赤彦
夕焼空ユウヤケゾラ焦げきはまれる下にして氷らんとする湖ウミの静けさ
椿の蔭をんな音なく来キタりけり白き布団を乾ホしにけるかも
田舎の帽子ボウシかぶりて来コし汝ナれをあはれに思ひおもかげに消えず
山道に昨夜ユフベの雨の流したる松の落葉はかたよりにけり
高槻のこずゑにありて頬白のさへづる春となりにけるかも
みづうみの氷は解けてなほ寒し三日月の影波にうつろふ
釈迢空チョウクウ(折口信夫)
葛の花 踏みしだかれて 色あたらし。この山道を行きし人あり
人も馬も 道ゆきつかれ死ににけり。旅寝かさなるほどの かそけき
鶏の子の ひろき屋庭ヤニハに出でゐるが、夕焼けどきを過ぎて さびしも
土屋文明
草の葉朽ちて終らむとする時に成り出づるなり若き草の芽
この三朝ミアサあさなあさなをよそほひし睡蓮の花今朝はひらかず
苦しければ馬は人みていななけりうれしがるぞと馬方ウマカタはいふ
一生ヒトヨの喜びに中学校に入りし日よその時の靴屋あり吾ワレは立ち止ドマる
土岐善麿
われのなお生きてあることを知るものの訪ひくるに誰ぞと立ちて迎えつ
これがこれ生きた人間の顔かもよ あをじろく、あをじろく 何も知らず
遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし
老健はわれのみならんやおのおのたがいに周辺として乾杯し乾杯す
長塚節
芋の葉にこぼるる玉のこぼれこぼれ子芋は白く凝コゴりつつあらむ
日に干せば日向臭しと母のいひし衾フスマはうれし軟ヤハラかにして
馬追虫ウマオヒの髭ヒゲのそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし
白埴シラハニの瓶カメこそよけれ霧キリながら朝アサはつめたき水くみにけり
垂乳根タラチネの母が釣りため青蚊帳アヲガヤをすがしとねつたるみたれども
中村憲吉
身はすでに私ならずとおもひつつ涙おちたりまさにかなしく
山のうへに春さむく僧の行きかへり黒衣ふくれて白き襟巻
日の暮れの雨ふかくなり比叡寺ヒエイデラ四方結界ヨモケッカイに鐘を鳴らさず
朝けふは眼もとにひらく琵琶の湖ウミ山上にまししさみしき聖ヒジリ
前田夕暮
昼と夜のさかひに咲ける花遠くたづぬるや君心疲れて
木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな
濠端ホリバタの貨物おきばの材木に腰かけて空をみる男あり
向日葵ヒマハリは金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
正岡子規
いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす
病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも
夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも
若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり
いたつきの癒イゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ
くれなゐに二尺伸びたるばら薔薇バラの芽の針やはらかに春雨の降る
瓶カメにさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
吉原の太鼓聞こえて更くる夜をひとり俳句を分類すわれは
冬ごもる病の床トコのガラス戸の曇りぬぐへば足袋タビ干せる見ゆ
佐保神の別れかなしも来ん春にふたゝび逢はんわれならなくに
縁先に玉巻く芭蕉玉解けて五尺の緑手水鉢テウヅバチを掩オホふ
松の葉の葉毎に結ぶ白露の置きてはこぼれこぼれては置く
三ケ島葭ヨシ子
わが家とさだめられたる家ありて起き伏しするはたのしかりけり
このごろはうれひ打ちつづきうつしみをさびしがる暇無くなりにけり
わが病すこし快ヨければとことはに死ぬ日なきごと身をばさびしむ
なげきつつ年月ふればおのづから眼とぢて祈るこころとなりぬ
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