GLN町井正路訳「ファウスト」

第二十五場 牢獄

ファウスト  そう解ったら、さあ出よう。
 
マーガレット  外へですか。
 
ファウスト  うむ、自由の天地へ。
 
マーガレット  出て見たところが直ぐ墓へ入れると云うじゃなし、死神が待伏して居ると云うことも ありますまい、彼の世へなら此処から直ぐ行かれます、一歩も出なくても参られます ……、貴郎はもう御出なさるの、できる事なら妾も行きたいわ、ハインリヒさん。
 
ファウスト  出来るとも、御身(おまえ)さえ出る気になれば、扉は開いて居るよ。
 
マーガレット  往くのは止めましょう、出たところで何の望があるじゃなし、逃げても待伏せ されるから無駄です、うまく遁れても乞食をする様になるでしょう、それに心の鬼に 責められのが何よりも辛いわ、知らぬ異国を彷徨うて、哀れな命を繋いだところが 終(しまい)には捕まりますよ。
 
ファウスト  私が始終傍に居てあげるわね。
 
マーガレット  迅く、迅く、貴郎、あの子を助けて下さい、大急ぎで……、此の川伝いに上がると 橋があります……、其れを渡って森に這入れば池です……、あら左の方に浮いて居る 板のあたりに……、大急ぎで掴まえてください、立上ろうとして……、まだ躁悶(もが) いて居ります……、助けて、助けて。
 
ファウスト  どうぞ気を静めてくれ、一歩踏み出せば自由の身となるじゃないか。
 
マーガレット  此山を超えるとね……、御母さんが彼処の石に腰を掛けて頭を振って居るのよ……、 あゝ、何だかぞくぞくして来ました、なぜ私を呼んで下さらないのだろう……、おや、 頭が垂れたわ、まあ、よく御寝みなさること、もう目が醒めないのかしら、御寝(ね) なすったから。二人は好い事ができたんでしょう……、あゝ、あの時は嬉しかったこと。
 
ファウスト  もう諭(さと)したり、頼んだりして居る余地がない、腕力で担ぎ出すより外は あるまい。
 
マーガレット  あら、放して下さいな、乱暴なすっちゃいやよ、そんなに残酷(むご)くしてどう なさるのさ、妾は貴郎に出来るだけの事をして上げたでしょう。
 
ファウスト  はや日の目が見えるぞ、マーガレットがりっと、マーガレット。
 
マーガレット  日ですか、日の出でしょう、終りの日が昇るのです、妾の祝言日は強だったのですか、 ねえ貴郎、妾と一緒になった事は黙っていらっしゃいよ……、御嫁入の花冠は……、 万事は水の泡と消えた……、貴郎には又御目に懸かりますよ、然し舞踏会では会えない わね……、あら、まあ、大勢集って来たこと、一言(ひとこと)も喋べるものがない、 四ツ辻も街道も人で充満(いっぱい)です、おや宣告の鐘が鳴って居る、合図の枝を 折る音がします……、あら、手荒く縛るのね、とうとう刑台に曳き出されたわ、あの 鋭い刀は幾人(いくにん)の頸を斬ったのやら、今度は妾の番よ、まあ寂(しん)としたこと。
 
ファウスト  あゝ、俺は此世に生れて来なければよかった。

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