GLN町井正路訳「ファウスト」

第四場 書斎

メフィスト  理論は老いて白髪となったが、人生の黄金樹は緑葉蓁々として茂って居る。
 
学生  実を申しますと、私はまるで夢の様で、さっぱり了解致しません、いずれ後日改めて 御邪魔致した時、御高説を拝聴致したいのです。
 
メフィスト  自分に出来る事なら、何でもして上げよう。
 
学生  先生の御手に此の書画帖を御渡し申さずに、御暇することは出来ません、どうぞ御 親切の証に何か一筆御願い申上げます。
 
メフィスト  宜しい。
 
 何か書き付けて学生に渡す、学生之を読み下す。
 
学生  「善と悪とを識別し得るに至れば、汝即ち神の如くなり。」
 
 読み終って学生は恭しく本を閉じ帰り去る。
 
メフィスト  あの古くさい諺を守って見ろ、俺の従姉弟(いとこ)の蛇を択むよりも少しは増しだ、 人間は憖(なま)じ神に似て居るから永久に苦しむのだ。
 
 ファウスト旅装を調えて登場。
 
ファウスト  何処へ行くのか。
 
メフィスト  御望み通り、小世界を見てから大世界の方へ行きましょう、必然(きっと)貴君は 非常な歓喜と非常な利益を得て、道すがら踊り出します。
 
ファウスト  此の長髯では如何とも仕方がない、僕は軽妙な社交術に長じて居らぬから、今度の 計画は甘く行くまいと思うのだ、これまでとても社会に乗り出した例はなし、人の前に 出ると、何んだか肩身が狭い様に思われて、何時も困却せざるを得ないのだから。
 
メフィスト  そんな事を心配するには及びません、処世の道などは直ぐ分ります、貴君が強い自信 を以て、泰然として居れば宜しいのです。
 
ファウスト  それは良いが、どうして出立するんだ、馬丁も馬も馬車も無いじゃないか。
 
メフィスト  はい、此の上衣を拡げさえすれば、夫れで宜いのです、上衣は僕等を空中に運んで 呉れます、此の大胆な旅行に重い荷物などは一つも御持なさらぬがよい、私が今準備 (ようい)しようと思うて居る僅かの瓦斯ができ次第に、二人飄然として地上を 離れます、段々体(からだ)が軽くなると、益々迅速に飛行することが出来るのです、 先生、貴君の新旅行の発途(かどで)を祝します。

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