GLN町井正路訳「ファウスト」

「ファウスト」解題

 シルラーはゲーテよりは若かったのであるが、一八〇五年ゲーテーに先立って −  ゲーテが五十九歳の時に此の世を去り、其の後三年にして、現今吾人が有する 「ファウスト劇」の第一巻は世に公にせられた、其の後十九年経って第二巻の一部、 「ヘレナ」と題せられて出版され、翌年続いて又次の一部刊行された、而して 第二巻の最終の一行が書き下されたのは、一八三一年七月二十日であったが、 同年八月廿八日、即ち我が詩聖の八十二回の誕生日に、「ファウスト」に関する 一切の原稿は整理されて、其れより以後は一言一句も増減されなかったのである、 次で其の翌年の三月二十二日に、詩聖ゲーテは遂に此の世を去ったので、 それより間も無く第二巻の全部が出版せられたのである。
 
 「ファウスト」の第一巻を以て「ファウスト劇」の重なる部分となし、其の 第二巻は之を見るの要無きかの如く思惟する者も少く無いのであるが、それは 誤れるの太だしきものである、第一巻に於けるファウストは未だ救われたものでも なく、又勿論消滅したものでは無い、ゲーテは固より当初から両巻を通じて一貫した 計画を有して居ったので、唯メフィストフェレスの性質だけは、其の生涯、 長年月の間には時々変化を示して居るのは止むを得ぬのである、で若しゲーテにして 第一巻丈けで擱筆したならば、「ファウスト劇」は遂に所謂狂言作者の弄ぶ処となり了った のであろう、今日に於ては、吾人が「ファウスト」に対する、毫も普通の物語とか 裨史とか云うような観念は念頭に無く、恰も哲学者が真理に対した時の如く、常に 「何故」と「如何にして」との二句を繰返さゞるを得ないのである。
 
 彼のシルラーが始めて「ファウスト詩」を読みし時、「これ実に詩として 記かれしものゝ内の最高尚のものである」と称讃し、且つ「ゲーテにして 此の劇を完成するに至ったならば、主人公ファウストは宇内の物質全局に通ずるの 真理を解釈するものとなる可く、従って物語の通俗的部分と、全体の哲学的部分とを 相関連せしむるの困難は蓋し予想の外であろう」と云って居る、以てゲーテが 「ファウスト」の作に如何に苦心したかを知るに足るであろう。
 
 上述の次第であるから、「ファウスト劇」に対して健全なる理解力を得ようと するには、全局を通読することが主要の条件である、でそれは第一巻第二巻は云う 迄も無く、序詩の如きも一体のものとして之に対せねばならぬ。
 要するに「ファウスト劇」は、恰も恒星が其の軌道を進行するが如く、限り無き 宇内に円を画してそして其の出発点に局を結んで居るのである。
 
 世人が自然界の現象以外、自然以上の現象にも耳を傾け、此の両者を調和せしめた 読物に趣味を有する限り、ゲーテの「ファウスト」は其の生命を失わないであろう、 彼の沙翁(シェークスピアのこと)の「マクベス劇」が人間の脳裡を去らざる限り、 此の「ファウスト劇」も永遠に存在するであろう、科学が万事を解釈し了うの時が 来たなら、いざ知らず、苟も人智の得て知る可からざることの存在する限り、 此の劇は永く消滅すること無いであろう。(解題完)

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