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以上叙述した、物語が時代と共に変化して来た点を更に摘記して見ると、四世紀頃の
物語では、シプリアの一青年が一少女の愛に陥り、自己の望を遂げんが為めに
魔術を学ぶに至ったのであるが、十七世紀の始めのカルデロンに至ては、全然此の
物語を変じ、シプリアの一青年を大胆なる哲学者として描き、宇内に対する疑問を
解かんが為めに、魔王の力を借りると云うことにして、それで少女ジャスチナ
のことに及んで居る。 シプリアの一青年アンチオクは、遂に悪魔の如何なる者であるかを理解し、 たゞ徒に少女ジャスチナの容貌を示すの外、何等の力をも有して居らぬことを知って、 それで悪魔と絶交することに至ったが、物語の発展と共に悪魔の勢力は漸次(だんだん) 増加して来て、其の後に於ける物語は、青年をして致命的の契約を為さしめ、 以て容易に悪魔の手を免るる能わざらしめた。 十世紀の物語に於て、僧侶セオフィラスは、悪魔との契約書を認むる際に、普通の 墨を用いたが、十三世紀後の物語には、血を以て書かしめたとあり、十六世紀の 末葉に出でたヨハネス、スパイスの書にも、ファウストは契約書を書くに血を以て すべく要求せられたことが記されてある。 一五〇七年以前の物語中には、ファウストと云う姓名を見出すことは出来なかったが、 此の年ヨハネス、トリテミュウスと云う人が、其の友人に宛てた書翰中に初めて此の 名を書した、そしてそれは当時生存して居った人物の実名であったことは前に述べた 通りである。されば此のファウストなる者は、古の懐疑的物語の主人公が実在として 現われ来た者と見れば可いので、彼は森羅万象を疑い、其の解決を得る能わずして、 魔術を弄ぶに至った為めに、遂に悪魔のた為めに悲惨なる最期を遂げたのである。 それで是より以後の物語は古物語にファウストの実歴を混じ、一層趣味と恐怖とを 深からしむることになったのである。蓋しファウストなる者が存在したことは 動かす可からざる事実で、彼と同時代の記者が残した記録は之を証して余りあるので、 彼のヨハネス、スパイスの如きはファウスト自身の原稿を集めて、其の実伝の資料に 供したとまで云って居る。 中世紀は迷信の時代であった、でファウストの伝記は、人の信仰を高め、神の力の 崇む可く、恐る可きものであることを知らしめんが為めに著述せられたので、 固より人の懐疑心を養成し、而して後確実なる悟道に入らしめようと云うような目的 では無かった、乃ちヨハネス、スパイスは其の「ファウスト伝」の第一頁に於て、 悪魔の近づく可からざることを詳述したが、其の他にも事に託して信仰を鼓吹して居る、 ウィドマンに至ては更に其の傾向を明かにし、熱心に其の時世の教訓を載せ、為めに 読者の倦怠を招致した。それでファウストに対するメフィストフェレスなる悪魔の名は、 ヨハネス、スパイスの著書に始めて載せられたもので、それより以前の物語には絶えて 見えなかった、希臘(ギリシャ)語で「メ」は「打消し」の意を含み「フィス」は「光」 の義、又「フェス」は愛の義であるから約言すれば乃ち悪魔のことである。 |
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