私共日本人 − 神道など、いわゆる多神教の世界に育っている人々 − は、西欧
(〜欧米)で生まれた思想宗教を理解することに、違和感を感じると云うか、難解
と云うか、理解に苦しむことが、しばしばあるように思う。
そしてまた、旧かな文で記述された訳本は、私の頭脳では、なかなか理解しずら
い。
ところで、このことは、
@聖書の概念を「絶対的是」(聖書宗教)
Aわが国など東洋的な多神教の世界を「絶対的非」(非聖書宗教)
(と仮に定義してみることにすると)の違いからであろう。
つまり、西洋の思想家達は、自ら置かれている「聖書宗教世界」に、何らかの
「想い(本音)」を抱きつつも、生来のしがらみから脱出することが出来ずに、建
前上「絶対的是」に抵触しない程度に、自己の主義主張を吐露しているのでは……。
例えば、役者(本音)Aが、舞台に上がって人物(建前)@を演じ、観衆(聖書
宗教の人々)@のご機嫌を窺いながら、自身(本音)Aのことをこっそり吐露しつ
つも、表面上は人物(建前)@になりきって幕を下ろす、と云うまわりくどい「劇
中劇」を演じているのでは……。
つまり私共の側も、西洋の思想宗教に触れるとき、無理やり登場人物@になりき
って(登場人物@になりきってしまわないと、その思想宗教を理解出来ないか
らか)その役を演じ、心を躍らせる……。
と云うことで、私共は、@が「絶対的是」で、Aが「絶対的非」であると観念し
てしまうのでは……。
こんなことを、おぼろげながら考えつつ、このサイトを作ってみたいと想ってい
ます。
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