私の神道「死後観」

「死後は安らか」か

「我は想う」
 生前に何がしかの恩愛なり、知遇を得させていただいた方の臨終に際しては、 私の心の内は別として、別れ逝く方の、その時の情景について、一般的な 事柄を記してみたい……。
 
「或る人問う」
 えっ!
 
「我は想う」
 人が逝くと云うことは、
@何としても、慌ただしい。
A長寿を全うしたと云うか、長命であったとしても、生から死へ至る過程は、 あまりにも弱々しい、物悲しい余韻が後を引く。
B突然の、また意外な出来事である。
C顔や身体などに、苦痛の痕跡が見られる − とても痛々しい。
D苦しみ抜いて死に至る。
 ……。
 
「或る人問う」
 このような臨終の場面が、あまりにも生々しいと云うか、強烈な印象の結果として、 あたかも、この人のこれまでの全生涯は、 険しい、苦しい、悲しい、悩ましい、苛酷なものであった、 と認識してしまう。
 
 「我は想う」
 ……。
 
「或る人問う」
 楽しかったこと、嬉しかったこと、有意義であったこと、笑いこけたこと、 美味しかったこと、お礼を言われたこと、人のために尽くしたこと……。
 これらの事は、悲しい別れの感情の重荷の下敷きになってしまって、
 つい、これからは、
@安らかにお眠り下さい……
A天国極楽で、安らかにお過ごす下さい……
B何も心配しなくてもいい、ただただ神のなすがままに……。
 また、
Cもし生まれ変われるなら……。
との想いが、残された人々の心を支配することになる。
 
 逝く人に、声をかけてくれ、と言われるのだが……。
 
「我は想う」
 ……。

[次へ進む] [バック]   前画面へ戻る