徒然想問

強者は必ず勝つのか


△強者は必ず勝つのか
「或る人問う」
 今の世界は、大部分は民主主義を旨とし、当該社会(組織なども)の意志は、そ
この人々の多数決によって決定され、その決定されたことに異議を差し挟まないこ
とになっている。即ち多数を勝ち得た意見は、その社会を牛耳ることとなり、少数
意見は敗者となって、いやいやながら多数意見に従うことになる。そして、敗者は
「被害者」の仮衣を着て、勝者を「加害者」とみなして、その傲慢さや非情さを攻
撃することとなるが……
 
「我は想う」
 基本的には、そのような道徳律が行われているが……
 
「或る人問う」
 基本的にはとは……
 
「我は想う」
 多数者は奢る傾向にあるし、少数者には自己の意見を曲げたくない意固地さが見
受けられるね。
 
「或る人問う」
 各種競技会(コンテスト)においても、勝者は称えられて、永遠にその名を残
し、敗者達は悔し涙を流して、やむなく会場の隅でたむろすることとなる。
 
 ここで、例えば相撲において、大相撲の角力と幼児を戦わせることにしよう。勝
負は、試合前から決まっている。幼児は必ず負ける(敗者となる)と……
 しかしもし、幼児が、
「僕に勝たしてくれ」
と言ったとしたら、角力はまず勝つことをしない。他方の幼児は勝っても負けて
も、決して敗者にも被害者にもなることはない。
 
「我は想う」
 勝負の理想形としては、両者が拮抗していることであるが、世の中は必ずしもそ
うとは限らない。ときには敗者に厳しい仕打ちが待っている。特に戦争はね。
 
「或る人問う」
 またの例として、普通の家庭においては、主人や主婦は、先頭を切って一家を導
いて養育しているので、主人や主婦の発言力は絶大である。もしその家に老人と
か、赤子がいたとしても、主人や主婦を中心にして営まれていると、一般的に思わ
れている。
 しかしその家は、実は、老人なり、赤子なりを軸にして事が運ばれているのであ
る。
 老人や赤子は、弱者であっても、敗者・被害者とは呼ばれない……
 
「我は想う」
 世の中を一概に、強者と敗者に二分割することは好ましくない。
 別掲「ジェンダー・フリーと補うこと(三すくみ)」の項を見ていただきたい。

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