徒然想問

ジェンダー・フリーと補うこと


△誰のための哲学か
「或る人問う」
 そのような思想哲学に接するとき、「盲人摸象」ことが思い出されるね。

 「盲人摸象」とは、「盲人が象を触る」と云うことである。
 
 数人の盲人が一堂に会して、一体「象」とはどんなモノなのか知ろうとした。
 
 まず一人目の盲人は象牙を触って、「象とは、大根のようなものじゃ!」と言
 った。
 二人目は耳を触って、「象とは、大きなウチワみたいだね!」と言った。
 三人目は足を触って、「象とは、太い柱だよ!」と言った。
 四人目は胴体を触って、「どうやら象は、壁みたいですよ。」と言った。
 五人目は尻尾を触って、「い〜や、象はまるで蛇そっくりだよ!」と言った。
 彼等は延々と議論を続け、皆自分の主張が正しいと譲らなかったのである。 
 
 「盲人摸象」は、物事の一側面しか観察せず、全体像や本質を理解しない人を
 比喩するときに用いる。

「我は想う」
 先生も、人民も、我々も、この中の一人の見方にのみ固執したくないものだ
ね。

「或る人問う」  神はどのように思っているだろうか。  仮説が、総ての人々に認められることをどのように思っているのだろうか。   「我は想う」  神(唯一神であっても、神々であっても)は、異教徒であろうが誰であろう が、人民によって構築された仮説が、より多くの人々によって具現されること は、決して拒まない。否、神は、総ての人々が、その仮説によって利されること を是とするであろう。すなわちその仮説が、誠実で人々のために構築されたもの であれば………

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