23 哲学のすすめ[哲学と科学は対立するか]
 
                       参考:講談社発行「哲学のすすめ」
 
〈目的と手段〉
 
△行為に対する科学的知識の意義
 これまで私は、科学はただ事実についての知識を目指すものであり、従って価値判断
の基礎となるものではないと云う点に、その限界を持っていると述べました。
 科学はもとより重要なものです。それは、人類の技術文明を発展させるような、大き
な観点から見て、重要であるばかりでなく、我々の日常の生き方、日常の行為に対して
も、極めて重要な意味を持っています。
 例えば油類に引火した火災を消火すること、突然脳障害に罹った人を救護することな
ど、必要な科学的知識を持っていなければなりません。
 
△行為の目的を決めるもの
 それ故、我々はどのような行為をする場合でも、必要な科学的知識を持っていなけれ
ばなりません。ある目的を行使する手段としてのみ、科学的知識が必要となります。こ
の目的を決めるのは人生観であり、哲学です。科学的知識自身は目的を決めることは出
来ず、手段にのみその意義を有するのです。
 我々はどんな行為をする場合にも、その行為の目的を持っています。何の目的も持た
ない行為は存在しません。その行為の目的は単なる科学的知識からは導くことは出来ま
せん。何故なら、目的は事実に関するものではなく、価値に関係するからです。
 
△一つの目的と多くの手段
 具体的な行為は、目的を達成する手段を云います。ある一つの目的が決まっても、そ
れを達成するための手段は幾つもあります。この多くの手段のうち、どれが最もよくそ
の目的を達成し得るか選択しなければなりません。
 ところで、手段としての行為は、現実の状況を見て実行されますので、その状況(事
実)についての知識が必要になります。具体的にどういう行為をなすべきかを決定する
ために科学的な知識が必要となるのは、このためです。科学的な知識がないと、我々は
不適切な手段をとり、そのために目指す目的に到達出来なくなったり、或いは不必要な
労力や犠牲を払わなければならないからです。
 
△子供の躾シツケや勉強の仕方
 例えば、我々が子供の躾を行う場合、その目的は子供を正しい良い人間に育てること
です。しかしその目的だけでは、子供に対して具体的にどういう態度をとるべきかは、
まだ決まっていません。最も効果のある手段は、子供の心理状態などいろいろの事情を
考慮して、或いは叱り、或いは誉めるなどして子供をうまく導いて行くことでしょう。
そのためには、子供の心理などについての科学的知識が必要になります。
 また、勉強をしようと云う目的が決まったとしても、勉強を効果的にするためには、
どういう勉強法が良いか工夫する必要があります。我々はそのためには生理学的、心理
学的な知識を用いて、具体的な勉強法を工夫しなければなりません。
 
△二種類の価値判断と「目的と手段」の関係
 私はさきに、価値判断を原理的な価値判断と、具体的な価値判断とに分け、前者は哲
学的な問題で、後者は純粋な哲学的な問題ではなく、事実についての知識を予想して初
めて成り立つことを述べましたが、このことと、前述の目的と手段とは、結局同じこと
です。
 つまり、目的を決めると云うことは、目的について価値判断を下すことであり、これ
は原理的な価値判断と同一の性質を持つことなのです。
 一方、具体的な事物について価値判断を下すことと、どういう行為をなすべきかとは、
一見違うことのように見えますが、それは行為と云う具体的な事物について価値判断を
行っていることと考えられますので、この二つは論理的に見て、同一の関係にあるので
す。
 原理的な価値判断は哲学によりますので、目的についての決定も哲学の仕事なのです。
そして、具体的な事物についての価値判断が科学的な知識なくしては行われないので、
どういう行為をなすべきであるかと云う問題も、科学的知識を欠いては決定することが
出来ません。
 
〈性急な推論の誤り〉
 
△目的と手段を区別しない誤り
 以上、目的についての判断と、手段についての判断とは、その性質が異なっているこ
とを述べました。
 しかし我々は次のような誤りを犯しがちです。一つは目的さえ決まれば、それで直ぐ
どのように行為すべきか分かると考えることです。二つは、事実についての科学的知識
のみで、どのように行為すべきかを決定し得ると考えることです。この二つの誤りは、
目的と手段の関係を十分に理解しないことから生ずる、性急な誤った推論なのです。
 
△目的のみで行為は決定されるか
 ある目的が正しいと考えるとき、現実の状況を全く考慮しないで、一途にその目的を
実現しようとしますが、今一度、我々はどういう手段を用いてその目的を実現すべきか
を慎重に考える必要があります。
 例えば、世界平和の確保と云う目的が正しいとすれば、どういう行為をすべきかが直
ちに決定されると考えたり、貧困の救済と云う目的が正しいとすれば、どういう社会を
実現すべきかと云うことが直ぐ決まってくると考えることは、性急で誤った考えです。
 世界平和の確保を実現する手段は、我々は現実の世界の政治情勢など多くの事実につ
いての知識を以て、その基礎の上に立って判断しなければなりません。
 また、貧困を救済する手段として、どのような社会組織が最も適当か、具体的に政治
的、経済的な知識に上に立って判断する必要があります。
 単に目的のみから手段としての行為が決定されると考えることは、非現実的な観念の
空回りであり、それは非科学的です。
 
△行為の決定に目的は不要か
 一方、目的を見失って、ただ現実の情勢分析から行為を決めようとする誤りは、保守
的な現実主義者の陥りがちな誤りです。現実の情勢のみから行為を決定しようとすれば、
多くの場合、大きな危険は存しないでしょうが、同時に何の理想も、哲学も其処には存
在しません。
 
△理想と現実
 このように、単なる理想のみを追いますと、足元の現実を忘れてしまい、他方、単に
現実ばかりに気を配りますと、理想を見失います。これは目的と手段とを区別すること
をしないで、一方から他方を直ちに導こうとする誤りなのです。
 このため一方では、事実的知識、科学的な知識を軽視したり、他方では、科学的知識
で一切を片付けようとすることはあってはならないのです。
 我々は何処までも、科学的知識を導くべき哲学を、我々の現実的な行為を決定する根
底となるべき理想を必要とします。
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