91 歴代天皇
 
 92 伏見フシミ天皇
 
 鎌倉後期の天皇。後深草天皇の第二皇子。名は煕仁ヒロヒト。持明院殿とも称。譲位後、
院政。日記「伏見院宸記」。
(在位1287〜1298)(1265〜1317)
 正応ショウオウ 皇紀1948 AD1288
 永仁エイナン 皇紀1953 AD1293
 
〔神皇正統記〕 第九十一代、伏見院。諱は照仁ヒロヒト、後深草第一の皇子。御母玄輝
ゲンキ門院、藤原音(立心偏+音)子ヤスコ、左大臣実雄サネオの女也。後嵯峨の御門、継体を
ば亀山とおぼしめし定ければ、深草の御流いかゞとおぼえしを、亀山、弟順テイジュンの儀
をおぼしめしけるにや、此君を御猶子イウシにして東宮にすゑ給ぬ。そののち御心もゆか
ず、あしざまなる事さへいできて践祚ありき。丁亥の年即位、戊子に改元。東宮にさへ
此天皇の御子ゐたまひき。
 
 天下を治給こと十一年。太子にゆづりて尊号例のごとし。院中にて世をしらせ給しが、
ほどなく時うつりしかど、中六とせばかり有て又世をしり給。関東の輩も亀山の正流を
うけたまへることはしり侍りしかど、近比となりて、世をうたがはしく思ければにや、
両皇の御流をかはるがはるすへ申さむと相計けりとなる。のちに出家せさせ給。五十歳
おましましき。
 
 93 後伏見ゴフシミ天皇
 
 鎌倉後期の天皇。伏見天皇の第一皇子。名は胤仁タネヒト。日記「後伏見院宸記」。
(在位1298〜1301)(1288〜1336)
 正安ショウアン 皇紀1959 AD1299
 
〔神皇正統記〕 第九十二代、後伏見院。諱は胤仁タネヒト、伏見第一の子。御母永福エイフク
門院、藤原章(金偏+章)子シャウコ、入道太政大臣実兼サネカネの女なり。実の御母は准三宮
藤原経子ツネコ、入道参議経氏ツネウヂ女。戊戌の年即位。己亥に改元。
 
 天下を治給こと三年。推譲スイジャウのことあり。尊号例のごとし。正和の比、父の上皇
の御譲にて世をしらせ給。時の御門は御弟なれど、御猶子の儀なりとぞ。元弘に、世の
中みだれし時又しばらくしらせ給。事あらたまりても、かはらず都にすませましましし
かば、出家せさせ給て、四十九歳にかくれさせましましき。
 
 94 後二条ゴニジョウ天皇
 
 鎌倉後期の天皇。後宇多天皇の第一皇子。名は邦治クニハル。父上皇が院政。
(在位1301〜1308)(1285〜1308)
 乾元カンゲン 皇紀1962 AD1302
 嘉元カゲン 皇紀1963 AD1303
 徳治トクジ 皇紀1966 AD1306
 
〔神皇正統記〕 第九十三代、後二条院。諱は邦治クニハル、後宇多第一の子。御母西花
セイクワ門院、源基子モトコ、内大臣具守トモモリの女なり。辛丑の年即位、壬寅に改元。
 天下を治給こと六年有て、世をはやくし給。二十四歳おましましき。
 
 95 花園ハナゾノ天皇
 
 鎌倉後期の天皇。伏見天皇の皇子。名は富仁トミヒト。後醍醐天皇に譲位。風雅和歌集を
監修。日記「花園院宸記」。
(在位1308〜1318)(1297〜1348)
 延慶エンケイ 皇紀1968 AD1308
 応長オウチョウ 皇紀1971 AD1311
 正和ショウワ 皇紀1972 AD1312
 文保ブンポウ 皇紀1977 AD1317
 
〔神皇正統記〕 第九十四代の天皇。諱は富仁トミヒト、伏見第三の子。御母顕親ケンシン門院、
藤原季子スエコ、左大臣実雄サネヲの女也。戊申の歳即位、改元。
(中略)
 父の上皇世をしらせ給しが、御出家の後は御譲にて、御兄の上皇しらせまします。法
皇かくれ給ても諒闇リャウアンの儀なかりき。上皇御猶子の儀とぞ。例なきこと也。
 天下を治給こと十一年にてのがれ給。尊号例のごとし。世の中あらたまりて出家せさ
せ給き。
[次へ進む] [バック]