61 歴代天皇
 
 61 朱雀スザク天皇
 
 平安中期の天皇。名は寛明ユタアキラ。醍醐ダイゴ天皇の皇子。位を弟の村上天皇に譲る。
(在位930〜946)(923〜952)
 承平ショウヘイ 皇紀1591 AD 931
 天慶テンギョウ 皇紀1598 AD 938
 
〔神皇正統記〕 第六十一代、朱雀天皇。諱は寛明ヒロアキラ、醍醐十一の子。御母皇太后藤
原穏子ノヲンシ、関白太政大臣基経の女也。御兄保明ヤスアキラの太子(諡を文彦ブンゲンと申)早
世、その御子慶頼ヨシヨリの太子もうちつゞきかくれまししかば、保明一腹ヒトツハラの御弟にて
立給。庚寅年即位、辛卯に改元。外舅ハハカタノヲヂ左大臣忠平タダヒラ(昭宣公の三男、後貞信
公と云)摂政せらる。寛平に昭宣公薨てのちには、延喜御一代まで摂関なかりき。此君
又幼主にて立給によりて、故事にまかせて万機を摂行せられけるにこそ。
 
 此御時、平タヒラの将門と云物あり。上総介カヅサノスケ高望タカモチが孫也(高望は葛原カヅラハラ
の親王ノ孫、平姓タヒラノシャウを給る。桓武四代の御苗裔なりとぞ)。執政の家につかうまつ
りけるが、使宣旨シノセンジを望ノゾミ申ける。不許フキョなるによりいきどをりおなし、東国に
下向して叛逆ホンギャクをおこしけり。まづ伯父常陸の大掾ダイジョウ国香クニカをせめしかば、
国香自殺しぬ。これより坂東バンドウををしなびかし、下総国相馬郡に居所をしめ、都と
なづけ、みづから平ヘイ親王と称し、官爵をなしあたへけり。これによりて天下騒動す。
参議民部卿兼右衛門督ウエモンノカミ藤原忠文タダフンノ朝臣を征東大将軍とし、源ノ経基ツネモト(清
和の御すゑ六孫王といふ。頼義ヨリヨシ・義家ヨシイヘノ先祖なり)・藤原仲舒ナカノブ(忠文の弟な
り)を副将軍としてさしつかはさる。平貞盛サダモリ(国香が子)・藤原秀郷ヒデサト等心を一
にして、将門をほろぼして其首カウベをたてまつりしかば、諸将は道よりかへりまいりに
き(将門、承平五年二月に事をおこし、天慶三年二月に滅ぬ。其間六年へたり)。藤原
純友スミトモと云物、かの将門に同意して西国にて叛乱せしかば、少将小野好古ヨシフルを遣て
追討せらる(天慶四年に純友はころさるるとぞ)。かくて天下しづまりにき。延喜の御
代さしも安寧アンネイなりしに、いつしか此乱ミダレ出来る。天皇もおだやかにましましけり、
又貞信公の執政なりしかば、政たがふことははべらじ。時の災難にこそとおぼえ侍る。
 
 天皇御子ましまさず。一腹の御弟太宰帥ダザイノソツの親王を太弟タイテイにたてて、天位を
ゆづりて尊号あり。後に出家せさせ給。
 天下を治給こと十六年。三十歳おましましき。
[次へ進んで下さい]