29 歴代天皇
 
 29 欽明キンメイ天皇
 
 6世紀中頃の天皇。継体天皇の第四皇子。名は天国排開広庭アメクニオシハラキヒロニワ。即位は539
年(一説に531年)と云う。日本書紀によれば天皇の13年(552年、上宮聖徳法王帝説に
よれば538年)、百済クダラの聖明王が使を遣わして仏典・仏像を献じ、日本の朝廷に初め
て仏教が渡来(仏教の公伝)。(在位 〜571)( 〜571)
 皇紀1199 AD 539
 
〔神皇正統記〕 第三十代、第二十一世、欽明天皇は継体第三の子。御母皇后手白香
タシラカの皇女、仁賢天皇の女也。両兄リャウケイましまししかど、此天皇の御すゑの世をたもち
給。御母方も仁徳のながれにてましませば、猶も其遺徳つきずしてかくさだまり給ける
にや。庚申カノエサルノ年即位。大倭磯城島シキシマノ金刺カナサシの宮にまします。十三年壬申
ミヅノエサル十月カンナヅキに百済クダラの国より仏法僧をわたしけり。此国に伝来ノ初也。釈迦如
来滅後メツゴ千十六年にあたる年、もろこしの後漢ゴカンの明帝メイテイ永平エイヘイ十年に仏法は
じめて彼国につたはる。それより此壬申の年まで四百八十八年。もろこしには北朝の斉
文宣帝ブンセンテイ即位三年、南朝の梁簡文帝カンブンテイにも即位三年也。簡文帝の父を武帝と
申き。大オホキに仏法をあがめられき。此御代の初つかたは武帝同時也。仏法はじめて伝来
せし時、他国の神をあがめ給はんこと、我国の神慮にたがふべきよし、群臣かたく諫イサメ
申けるによりてすてられにき。されど此国に三宝の名をきくことは此時にはじまる。又、
私ワタクシにあがめつかへ奉る人もありき。天皇聖徳ましまして三宝を感ぜられけるにこそ。
群臣の諫によりて、其法をたてられずといへども、天皇の叡志エイシにはあらざるにや。
昔、仏ブツ在世に、天竺の月蓋グワツガイ長者、鋳イたてまつりし弥陀ミダ三尊サンゾンの金像
コンザウを伝てわたし奉りける、難波の堀江ホリエにすてられたりしを、善光ゼンクワウと云者と
り奉て、信濃の国に安置し申き。今善光寺是なり。
 此恩時八幡大菩薩始て垂迹スイジャクしまします。
 天皇天下を治給こと三十二年。八十一歳おましましき。
 
 30 敏達ビタツ天皇
 
 6世紀後半の天皇。欽明天皇の第二皇子。名は訳語田渟中倉太珠敷オサダノヌナクラノフトタマシキ。
(在位572〜585)(538〜585)
 皇紀1232 AD 572
 
〔神皇正統記〕 第三十一代、第二十二世、敏達天皇は欽明第二の子。御母石媛イシヒメの
皇女、宣化天皇の女なり。壬辰ミヅノエタツノ年即位。大倭磐余イハレ訳語田オサダの宮にましま
す。二年癸巳ミヅノトミノ年、天皇の御弟豊日トヨヒノ皇子の后ヒ、御子を誕生す。厩戸ウマヤドの皇
子にまします。生ウマレ給しよりさまざまの奇瑞キズイあり。たゞ人ビトにましまさず。御手
をにぎり給しが、二歳にて東方にむきて、南无仏ナムブツとてひらき給しかば、一ヒトツの舎
利シャリありき。仏法流布のために権化ゴンゲし給へること疑なし。此仏舎利ブッシャリは今に
大倭の法隆寺にあがめ奉る。
 天皇天下を治給こと十四年。六十一歳おましましき。
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