神様の戸籍調べ
 
二十八 天津日高日子穂々出見命
 
 父海神にこの由を申されると、一見して火折命ホヲリノミコトであると知り、御殿を掃除して
御案内申し上げ、色々とあらん限の御馳走をつくして歓待いたし、遂に豊玉姫を妻とし
てさし上げたので、何とはなしに、三年の月日をこの宮殿に御暮しになった。
 始めは、珍らしさ、嬉しさに、御両人は夢のやうに暮らされてゐたが、慣れると倶に、
昔の事を偲ばれた火折命は、鉤の行跡を思ひ出して、嘆息をなさることが多いので、豊
玉姫が御尋ねになると、
 「兄さんの火照命の鉤をなくしたのでね。つい昔の事を思ひ出して、兄さんに済ない
と思ふのさ」
と言はれたので、始めて太息トイキの理ワケが解り、
 「何も御心配には及びませんわ、御父さんに御願して、魚を一つ一つ調て頂けばすぐ
解りますわ」
 そこで、海の神様が、海中の魚類を集め、詮議をすると、誰も知ったものはないが、
ふと一人が、
 「此頃赤鯛が咽喉にとげがあって、痛い痛いと碌ロクに食事もしません、或は釣鉤を咽
喉にひっかけたのではありませんか」
と云ふので、病床の赤鯛を診察すると、成程一本の鉤が出て来たので、火折命に御目に
かけると、間違なく、その尋ねてゐた鉤であったから、火折命は大に嬉び、早速兄様に
返し度いと海神に相談になると、
 「左様でありますか、誠に御名残惜しい訳ですが仕方ありません、では御返りなさる
やう。然し、この鉤を御兄様に御返しになる時意地悪い兄様は、何とか文句をつけなさ
るであらうから、その時は、この鉤を後手に渡しながら『オボ鉤チ、スス鉤チ、貧鉤マヅチ、
ウル鉤チ』と云ふ、唱トナヘものを唱へて御返しなさい。それから兄様が、高田を作られた
なら、命ミコトは下田を御作りなさい、私は水を司どる役目ですから、兄様の田地には水を
遣らないで、下田に遣って、三年の内に、兄様を閉口さしてやりましゃう。それで兄様
が決キッと、貧すりゃ鈍するの譬タトヘで、攻めて来たならばこの潮盈珠テウエイジュを出しなさ
れ、兄様は溺れて終はれるであらうし、若し、その時兄様が閉口したと降参せられたな
らば、この潮干珠テウカンジュを出して救ひ出しなされ」
と、二つの珠に鉤と、細々と教へてから、愈々日本へ御帰国となった。
 
 その御上国の随従には、鰐がよからうと、その最も速きを以て、海中に鳴る一尋鰐と
云ふのが、足自慢で一日に日本迄送りましゃうと、請合ったので、是に送られ、三年の
棲み家を後に、御上陸、厚く鰐を賞して、その首に小剣をかけて、是が功を表し給ふた。
 是から、火折命は、釣鉤を兄様に御返しになったが、以来兄様は不幸計りであるに引
くらべて、この弟命は何事も幸福の有様に、すっかり兄火照命は腹を立て、弟を征めむ
と家来を以てせられると、それっと火折命は出した潮盈珠に、火照命もその家来も溺れ
て死にさうになったので、
 「閉口した、敗けたよ、火折命どうぞ助けて呉れ」
と大声で願はれたので、火折命は、即ち潮干珠を出すと、湧いていた汐水がどこへやら
退いて終ったので、ホッと助った火照命は、とても火折命には敵はぬと諦めがついて降
参せられた。
 一方、火折命の種を宿された豊玉姫は、愈々産み月となったから、せめては父の国に
とて、遥々日本に来られた。そこで海岸に鵜ウの羽で屋根を葺かうとせられると、その葺
間フクマにも合ずに産気づいたので、その侭産屋に這入って、
 「子を産む間は、決して見てはいけませぬ」
と堅く頼むでおかれたので、火折命は変に思って、戸から覗かれると、あの玉のやうな
豊玉姫は、八尋もある大鰐となって、苦しさうに這ひ廻ってゐたので「アッ」と驚ろく
声をきいて、恥しき姿を見られたるを苦にして、豊玉姫はそのまゝ産むだ御子鵜茅葺不
合命ウガヤフキアヘズノミコトを放っておいて、海に飛込んで海陸の通路を塞がれる、それから、
火折命は、高千穂宮に君臨して永く日本を治めになったが、御年五百八十歳にして、遂
に高千穂宮(大隅国西囎於郡ニシソヲゴホリ西国分ニシコクブ村大字内ナイ)に於て御崩御になった。
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