11 神拝
[神拝]
神拝に数種あり。手を拍つを拍手ハクシュと云ふ。後世誤りて柏手と書し、之をカシハデと
云へり。
拝は汎くヲガムと云ふ。腰を折り稽桑(桑偏+頁)ケイサウするの謂にして、其の語意は折
れ屈むなり。拝を重ぬるを再拝と云ひ、再拝を重ぬるを両段再拝、又は四度拝と云ひ、
両段再拝を重ぬるを八度拝と云ふ。
拍手の数は八開手ヤヒラデと云ひて、八遍拍手するを一段とし、四段即ち三十二遍するを極
とす。而して長拍手、短拍手の名あり、その拍つことの緩急を以て分つ。短拍手をしの
びでと云ふは、之を静粛にするの謂なり。而して再拝、四度拝、八度拝とは、数を挙ぐ
るなり。
神を拝するには、或は拍手、或は拝、其の一を以てするもあれど、多くは重ぬるなり。
即ち古書に四段拝奉短手二段拍、又は四段拝奉八開手拍て短手一段拍拝奉とあるの類以
て見るべし。
是等の礼は、上代は神拝に限らず、普通にも之を行ひしが、後には神拝にのみ、之を用
ゐる事となれり。
遥拝とは、神社に詣でずして、其の方に向ひて拝するを云ふ。また合掌の如きは、印度
の礼にして仏事にのみ之を用ゐしが、後には神拝にも之を用ゐる事あり。
遥拝
ひきつれて葵かざしゝそのかみを 思へばつらしかものみづがき
うき世をばいまぞわかるゝとゞまらん 名をばたゞすの神にまかせて
(源氏物語 十二須磨)
みちのべのかものかはらのふしをがみ ふるきのあふちかげもなれにき
(夫木和歌抄 八夏 信実朝臣)
雑載
世の人の 貴タフとみねがふ 七種ナナクサの 宝も我は 何せんに(中略)しろたへの た
すきをかけ まそ鏡 てにとりもちて 天神アマツカミ あふぎこひのみ 地神クニツカミ ふし
て額拝ヌカヅキ かからずも かかりも神の まにまにと 立ちあさり 我が乞ひのめど(
下略)(萬葉集 五雑歌)
思より友をうしなふ源の 家にはあるじ有べくもなし(源平盛衰記 四十六)
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