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[家庭のお祭り]

 
[戴きます考 二]
 
 私共は通常、神前にお供えした神饌しんせん (神様の召し上がり物)をお下げして、それを飲食するとき、「戴きます」と言います。
 
 このことが、日常の生活においても、食べ物を食べるときはその都度「戴きます」と 言うようになったものと思います。
 即ち、「戴きます」とは、神様へのお礼の言葉なのです。
 
 ところで、神饌とは、神様の信者たる氏子崇敬者(=全ての住民)によって神様へ捧げられたものです。
 神饌の種類は、「御食御酒みけみきを始めて 海川山野うみかわやまぬ種種くさぐさ味物ためつもの」です。
 即ち、神饌とは、その土地に産出し、又は入手出来る、全ての食材です。
 その食材を、美味しく調理して、神様へ捧げるのです。
 
 大方の神社では現在、「海川山野」の食材は「生饌せいせん」 ですが、これは、戦前の国家神道時代、衛生面や経済面などを考慮して、全国一律に「 生もの」を神饌とするようにしたものと思います。
 今でも、調理済みの「熟饌じゅくせん」を神前に供える神社もあります。
 
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 さて、ご案内のように、「神饌」とは、あらゆる土地に産出し、あらゆる人々 − 職 業 − の手によって作り出された「食べ物」です。
 従って、神饌を「戴きます」とは、神様だけではなく、土地や人々 − この世の全て の物 − への感謝の言葉であると云うことになりましょう。
 
 「戴きます」とは、日本語として非常に響きがよく、心の籠もった快い言葉と云えま す。
 
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 因みに、キリスト教では、食事のとき、感謝のお祈りをしますが、このお祈りは、 「神様」への感謝の言葉です。
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