10 日本の神々と易・五行〈その9〉
日本の神々と易・五行〈その9〉
参考:岩波書店発行「神々の誕生」
[ 田の神の誕生
「亥」は十二支,つまり子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の中の一
支で,その最終に当たる。また,後漢の王充の「論衡」にみられますように十二支には,
鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鳥・犬・猪の十二獣が配当されましたので,「
亥」は即ち「猪」でもあります。
「亥」はまた,
「北から西へ30度の方向」
「昔の時刻の名。今の午後10時頃,また,凡そ午後9時から11時の間の時刻」
と定義(広辞苑)されています。これによりますと,
前者は西北という方位の「亥」
後者は午後10時という時間の「亥」
ということができます。このように十二支の「亥」は,亥方イノカタ,亥刻イノコクというよう
に空間・時間に配当され,明治以前には日本人の日常生活の中に広く深く浸透としいた
空間・時間の単位の一つでした。
十二支はまた前述のように,鼠・牛・虎・・・・・・・というように,十二獣の名によって誦
ヨみ習わされていますので,この十二獣との関連で理解されやすいですが,「子」から「
亥」に至る十二文字の原義は,植物の栄枯盛衰・伏蔵繁茂の経過を示し,「亥」もその
原義は口述しますように「とじる」であって,万物の凋落,生命の伏蔵を意味します。
従って「亥」の象徴するところは深遠で,古来,日本人が「亥」を十二支中でも格段に
尊重してきた理由の一つは此処にあります。
更に重要なことは,十二支の各支は,それぞれ複雑な法則を負っていて,「亥」もま
た,その例外ではなく,その変身振りには目を見張らされるものがあるということです。
「亥」字の原義,或いは十二支中の一支としての「亥が負う法則,それらの理解が神
無月カンナヅキとか,「亥の神」の謎を解く必要条件です。それらの導入なしに神話,祭り,
年中行事の中に活躍する「亥」或いは「猪」をみることは,徒に現象に振り回されると
いう結果に終わることになりましょう。
1 「易」における一年の構造
「易」は「一年の時の推移」を「陰陽の消長」として捉えます。つまり冬至を境とし
て日脚は畳の目程,日毎に伸びて行きます。その状況は,夏至を境に日脚が一日一日と
短くなって行くのと正に対称的です。陽気が伸長して行くのが「長」或いは「息」で,
陽気が減じ,陰気が増すのが「消」です。
冬至から夏至の方向は,陰から陽へ
夏至から冬至の方向は,陽から陰へ
の軌ミチです。
一年は子月ネノツキ(旧11月)と,午月ウマノツキ(旧5月)を結ぶ子午線を軸として陰陽が消
長し,交替します。
「一陽来復」とは長い困苦の果に一条の光を見出したときの常套語ですが,これは冬
至を含む旧11月,子月の卦のことで,全陰の旧11月,亥月の後に,一陽が新しく下に萌
キザす象を指します(下図)。
北(冬至)
子
亥 11 丑
10 12
戌9 1寅
西 酉8 ・ 2卯 東
申7 3辰
6 4
未 5 巳
午
南(夏至) ※アラビア数字は旧暦の月を示す。
冬至を含む月は旧暦では必ず「子ネ」ですが,「子」の意味は「ふえる」で,生命の増
殖を示します。万物が枯死する旧10月,亥月の「全陰」の月を経て,万象は冬至を契機
に僅かずつながら,「陽」の方向に向かいます。
旧10月,亥月の意味する「とざす」は,この一陽来復を導き出す源をなし,この全陰
あっての一陽来復となります。一陽の萌キザしを次に来るべき子月に期待するため,先人
達は亥月のこの全陰の象を,「神無月」(陽気を神にたとえて)として表現し,全陰の
象に相応しい「無音」「静寂」「畏れ」「慎み」を以てこの月を過ごした訳です。
繰り返しますと子月・午月を結ぶ「子午線」は,一年の陰陽を分ける軸の中でも最重
要な軸で,午の前にある全陽の「巳」,子の前にある全陽の「亥」は,その子・午に起
こる逆転の契機をなすものとして重視されたのでした。
2 中国古典における「亥」
中国古典にみられます旧11月,亥月を要約しますと,次のようになりましょうか。
亥月は水の始め,冬の始めです。「冬」とは「終」であり,「亥」とは「とざす」
なので,それらの字義通り,旧10月,万物は収蔵します。天地も本来は互いに往来
すべきものですが,この月は両者間の道は閉ざされ,互いに通じ合うということが
ありません。政治もこの「とざす」という天地の象に従い,国々の蔵には食糧を満
杯にして出すことなく,一方,城郭も補修して辺境に備え,要塞も完全にして内を
固めます。これらは全て亥月の「とざす」,易卦の全陰の象を象カタドってのことで
す。
また,この月には冬の祭りを盛大に行い,天子は天神地祇及び祖先を祭って,来年
の年穀を祈るです。これは「冬」即ち「終」を完うする祭祀といえましょう。
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