05 日本の神々と易・五行〈その4〉
 
            日本の神々と易・五行〈その4〉
 
                       参考:岩波書店発行「神々の誕生」
 
V 大黒の誕生
 
1 大黒の原像
(1) マカカーラ
 大黒は,福神の中で恵比寿と併称される横綱格です。その源はインドに始まり,中国
を経て日本に入ってきました。
 インドの全智全能の神シヴァは,生成・破壊・保存の三つの働きがあります。仏教の
大黒天はこのシヴァの一化現であるマカカーラで,このマカカーラは「大時」を意味し
,破壊者です。即ち万物は時間によって生成・破壊を余儀なくされるので,マカカーラ
は生命の略奪者であり,万物の破壊者です。しかし時代が降るにつれ,シヴァ,即ちマ
カカーラはその時をも支配するもの,時を撃殺することが可能な神ともなり,シヴァの
神性は破壊と同時にその裏面には生成・保存も併存し,その生成の徳の象徴としてはリ
ンガの形をとることになるといわれています。
 このシヴァ,即ちリンガが仏教に採り入れられて大黒天となり,日本に伝来されて信
仰されるに至りました。
 
(2) 大国主神との習合
 大黒天は初め飲食の施福神として祀られ,日本でも食厨の神とし,金嚢とか槌を附物
として祀られてきました。その後負袋式を付会した大国主神と習合して今日に及んでい
ます。この習合の直接かつ最大の要因はその同音,マカ=大,カーラ=黒,即ち大国と
推測できます。
 
2 大黒と太極との習合
 家屋の最も重要な柱は「太極柱ダイコクバシラ」ですが,その後桃山時代から近世初期にか
けて,前述のような大黒信仰が広まるにつれて,この太極柱を「大黒柱」と呼ぶように
なりました。
 このように大黒と太極との習合は直接ではなく,「太極柱」という柱を媒ナカダチとし
て,第二次的な習合として「大黒様」と習合したと考えられています。つまり大黒様は,
まず第一段階において大黒天と大国主命とが習合して大黒様,第二段階でこの大黒様と
太極とが習合されて今日の「大黒様」が誕生したことになります。
 
3 大黒様の神使「鼠」
 大黒様のお使い,即ち神使は「鼠」ということになっています。
 「古事記」上巻には,
 「八十神に嫉妬されて,遂にスサノヲノ神の居る根の国に逃れた大国主命は,此処で
もまた様々な試練を受けて大野の中に射込まれた矢を拾って来ることを命ぜられます。
大国主命が野原に入ったことが分かるや否や,火を着けられたからたまりません。出口
を求めてさまよううちに鼠が出て来て「内はホラホラ,外はスブスブ」と云ったので,
其処を踏むと,洞穴になっていて,其処に隠れているうちに火は焼け過ぎて行きました。
その鼠が矢をくわえて大国主命に奉りました。その鳴鏑ナリカブラの矢に付いていた羽は鼠
の子がみんな食べてしまっていました」
とあります。
 こうしてまた,「鼠」は十二支の「子ネ」に還元されますので,大黒様の祭りは「子祭
ネマツリ」といい,旧11月,即ち冬至を含む子月子日に執り行われる古い祭式です。
 古典の中,例えば「日本書紀」天智五年条にも鼠が出て来ます。
 そこで,「子」が出典する根拠について,「陰陽五行における子の特徴」,「天智五
年条にみられる鼠」と,「大黒様の子祭」について考察してみます。
 
4 「子ネ」とは何か
(1) 混沌と太極
 中国古代哲学によれば,原初唯一絶対の存在は「混沌コントン」です。この混沌から陰陽
二気が派生し,陽気は上昇して「天」となり,陰気は下降して「地」となりました。易
ではこの混沌を「太極」として捉え,中国創世紀は何れもこの「混沌」「太極」の一元
から陰陽二気,或いは天地乾坤の二元が派生したとされています。
 
(2) 混沌と「子」
 「五行大義」(随・蕭吉撰)は「子ネを困沌コントンと名づく。陽気混沌をいう」と述べ,
子即混沌であると定義付けています。「子」は陽気と陰気の混沌として相混ずるところ,
万物の萌キザすところ,なのです。
 
(3) 「子」と「北」と「冬」
 
           方位と十二支
 
             北                         
             子                         
      西北  亥     丑  東北                  
                                       
        戌         寅                    
                                       
     西 酉           卯 東                 
                                       
        申         辰                    
                                       
      西南  未     巳  東南                  
             午                         
             南                         
 
 十二支を方位に配当する(上図)と,北方を占めるものは「亥・子・丑」の三支,取
り分け「子」はその中央であり,正北です。これは空間の「子」ですが,この「子」を
時間に配当すれば,子月旧11月となり,この月は必ず冬至を含む「仲冬」で,「子」は
時間においても中央ということになります。冬至を含む子月は,陰が尽きて一陽来復の
始め,「陽始」であり,陰の終わり,「陰終」でもあります。
 陰陽五行の特徴は,時間空間の一致にあります。そこで,
  正北・子・仲冬
は,陽始陰終の「処」であり「時」です。ものの終わりであって始めのところ,換言す
れば「終始」のところは,中枢であり,中心です。万象を輪廻・循環の相で捉える中国
哲学において,ものの終始の時と処を象徴する「子」は,正にその輪廻の中枢・中央と
して意識されている訳です。
 以上を綜合すれば,
  混沌=太極
  混沌=子
  子 =北 =冬 =ものの終始の時と処=中央
  太極=子 =中央
ということになります。
 
(4) 太極と太一タイイツ
 陰陽五行は中国古代天文学と密接に結び付いており,北極星は宇宙の中心とされます。
「史記」天官書には「中宮天極星。其一明者太一常居也」とあり,北極星の神霊化が宇
宙神たる太一であることを示しています。この太一は太極の神霊化でもあります。
 この太一,即ち天帝一家の住む紫微垣シビエンを中宮としますが,日本において天皇一家
の住居をこれに準ナゾラえたとき,それは都の北の中央,即ち子方ネノカタになります。そう
してそのとおり,平城京でも平安京でも,皇居と政庁は常に都の北の中央たる子方を占
め,その名称も皇居は「紫宸殿シシンデン」,朝政を執る処は「太極殿」と称されたのでし
た。天皇大帝とは北極星の神霊化ですが,大和の首長はその天皇の呼称に対応して,そ
の都宮を太極としたのです。
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