02e 千字文(抄)
飽飫烹宰 ハウヨハウサイ あきては はうさいにあき
飽きて空腹ならざるときは、たとひ美味のものを見るとも、飲み食ふことを
好まざるなり。
飢厭糟糠 キエンサウカウ うえては さうかうにあく
又、これに反して、飢えて空腹なるときは、糟糠の如き粗食にても厭はず、
好んで食ふなり。
親戚故舊 シンセキコキウ しんせきこきう
親族や、ふるなじみは、互ひに往來し音信して、其交情を温めて、親密にす
べきことなり。
老少異糧 ラウセウヰリョウ らうせう かてをことにす
老少とは老人と少年とのことにて、兩者各々其食物の糧を異なす。老人は柔
かき物を食するなど。
嫡後嗣續 チャクコウシゾク ちゃくこうしぞく
嫡とは、長子即ち總領の子にて、父母の後をうけつぐ者、嗣續は祖先を大切
にし血統を嗣ぐ。
祭祀蒸甞 サイシジャウシャウ さいし じゃうしゃうす
而して四時に祖先の祭をなす、其の祭祀は、春は鑰、夏は帝(示偏に帝オホマツ
リ)、秋は薫、冬は甞といふなり。
稽桑再拜 ケイサウサイハイ けいさう さいはいし
祭祀には、稽サウ(サウは桑偏に頁)とて頭を地につけて再拜することにて、
かくも祖先をあがめて祭るべきものぞ。
悚懼恐惶 ショウクキヤウクワウ しょうく きょうくわうす
心中にまことありて、おそれかしこみ。祖先の功勞を拜謝して、丁寧に祭る
べきをいふ。
牋牒簡要 センテウカンエウ せんてうは かんえうに
牋牒は手紙のことにて、すべて手紙を書くには、要のことを手みじかく書く
べきをしめす。
顧答審詳 コタウシンシャウ こたうは しんしゃうにす
顧答は返事のこと。他に返事を出すには、つまびらかにして、よくわかるや
うに書くべきをいふ。
骸垢想浴 ガイコウサウヨク かばね あかつけばゆあみをおもふ
骸はからだのこと。からだに垢つけば入浴して垢をおとし、さっぱりと洗は
んと想ふべきをいふ。
執熱願凉 シフネツグワンリャウ あつきをとりては すゞしきをねがふ
又、熱さに堪へがたきときには、風とほしよき處などに行きて、凉しくあら
んと願ふなり。
年矢毎催 ネンシマイサイ ねんし つねにせまり
年矢とは月日のことなり。光陰は矢の如くに、時々刻々にうつりゆきて、又、
かへることなきなり。
曦暉朗曜 キキラウエウ きき あきらかにかゞやく
曦は太陽、暉は月にて、太陽はてりかゞやき、月は光り朗らかにして影をう
つして萬物を恵む。
旋幾懸斡 センキケンアツ せんき かゝりめぐり
旋幾(センは王偏の旋、キは王偏の幾)とは渾天儀のことにて天文を見る器
械なり。懸斡とは、高きにかゝりてめぐるを云ふ。
晦魄環照 クワイハククワンセウ くわいはく めぐりてらす
晦は、つごもりのこと。魄は月の體にて、日月が常に運行循環して、天地間
を照らすなり。
指薪脩古 シシンシウコ たきぎをさして ながくやすく
指薪とは、薪を指しくぶれば燃えて盡きぬが如く、熱情を以て人道を行へば、
必ず天祐を得るとの意(コは示偏に古)。
永綏吉劭 エイスイキッセウ ながくやすくして よろこびつとむ
かくすれば其の幸福の来ること一朝にあらず、永く安らかにして、心たのし
く吉事自ら来るなり。
矩歩引領 キョホインレイ あゆみをはかり くびをひき
歩を矩カネザシしとは、道を行くに一歩も法にたがはず、領を上げて正しき歩む
べきことをいふなり。
俯仰廊廟 フギャウラウベウ らうべうに ふしあふぐ
廊廟とは、宮殿のことにて、いつも宮殿に在る如く、出入には俯仰拜輯し、
謹みて禮儀を守ること。
束帶矜莊 ソクタイキンサウ そくたいし かざりかざりて
束帶とは、衣冠束帶することにて、裝束をつけたる人は、其の容儀をかざり、
威嚴を保つべきなり。
徘徊瞻眺 ハイクワイセンテウ たちやすらひて のぞみながむ
徘徊はゆきつもどりつすること、瞻眺は、前をながめ、うしろをながめ、か
へり見ることなり。
孤陋寡聞 コロウクワブン ころうにして すくなくきける
孤陋とは才能なくして識量の狹きこと。寡聞は其の見聞のせまきこと。著者
の謙遜の句。
愚蒙等誚 グモウトウセウ ぐもうと そしりをひとしうす
己れは智識の十分ならざる愚蒙の人にて、人にそしり笑はるゝを免がれず。
是亦謙遜の句。
謂語助者 ヰゴジョシャ ごじょといふ ものは
語助とは助けことばにて、語中にありて數少なからざるなり。其のうちにも
最も多く用ゐらるゝは、
焉哉乎也 エンサイコヤ これかなやなり
焉といふ字、哉といふ字、乎といふ字、也と云ふ字。此の四字なり。これ其
の大抵をあらはすなり。
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