05b 暦 − 暦書その三
 
△天一天上テンイツテンジョウ
 天一神が天上に在る癸巳の日から戊申の日まで,16日の間を天一天上といいます。天
一神(地星の霊)は次に記す44日間,
 
 己酉日より艮偶ゴングウ(艮ウシトラ)に6日
 乙卯日より東方に5日
 庚申日より巽隅ソングウ(巽タツミ)に6日
 丙寅日より南方に5日
 辛未日より坤隅コングウ(坤ヒツジサル)に6日
 丁丑日より西方に5日
 壬午日より乾偶ケングウ(乾イヌイ)に6日
 戊子日より北方に5日
 
を下界で八方を巡り過ごします。これを天一神遊行ユギョウといいます。45日目に天上に昇
り,癸巳の日から16日間を天上で過ごすといいます。天上に在る間は何れの方角にも障
サワりはありませんが,下界に在るときは,在位の方に向かって産サンをしたり,弓を射た
り,争論を慎むべしとされていますが,根拠はありません。
△天赦日テンシャビ
 春は戊寅,夏は甲午,秋は戊申,冬は甲子の日で干支相生です。この日は暦の上では
大吉日とされており,万吉ヨロズヨシと註するは天赦日のみです。
△三隣亡サンリンボウ
 略して「ホキ」といい,暦注書には,正・四・七・十月は亥の日,二・五・八・十一
月は寅の日,三・六・九・十二月は午の日を三隣亡と称して,屋造りを忌む日としてい
ます。例えば正月は亥日,二月は寅の日です。勿論「節切セツキリ」です。
 これと同様,他に八風ハフウ日・保呂風ホロフ日という屋造りを忌むとされる暦注がありま
す。中でも「保呂風日は万事にこれを忌むべし,物事に成就し難き日なり」と記してい
ます。
 旧暦時代には,これらは暦に記載されませんでしたが,新暦になった明治以後に三隣
亡だけが暦に載りました。世人に注目されるに至りましたのは,三隣亡の日に建築すれ
ば火災を起こし隣り三軒をも亡すという字句から出た迷信です。
△犯土ツチ
 犯土とは干支の気が土と土と重なる日で,庚午の日から7日の間を大犯土とし,丁丑
の日は間日となります。更に戊寅の日から7日間を小犯土といいます。土を犯してはな
らない日です。
△一粒万倍日イチリュウマンバイビ
 宣明センミョウ暦時代には万倍日とあり,地方により載ったり載らなかったり,また選日も
各地で異なっていました。貞享ジョウキョウ改暦後は暦に記載されませんでしたが,新暦にど
うして載るようになったのでしょうか。選日法は節切で次のようです。
 
 正  二  三  四  五  六  七  八  九  十  十一 十二
 
 丑  酉  子  卯  巳  酉     卯  酉  酉  亥  卯
                   子
 午  寅  卯  辰  午  午     申  午  戌  子  子
 
 この日は人に物を貸してもいいですが,借りてはならないといわれています。
△不成就日フジョウズビ
 正月七月は三・十一・十九・二十七日,二月八月は二・十・十八・二十六日,三月九
月は一・九・十七・二十五日,四月十月は四・十二・二十・二十八日,五月十一月は五
・十三・二十一・二十九日,六月十二月は六・十四・二十二・三十日,と月切ツキキリの八
日間隔で配当されます。文字どおり万事不成就日で,もし用いれば三時内に災難が来る
といいます。宣明暦時代には会津暦で用いられただけで,他の地方暦では用いられてい
ません。貞享改暦後も暦面には記載はありません。文政13年(1830)発行の「暦日レキジツ
講訳コウヤク」に「今世の人官版の御暦を用ひず六曜不成就日など用ゆるは暦乃有無を知ら
ざるが如し」と述べており,当時禁止されていました略歴などに記載されていて,密か
に用いられていたものらしいです。
△臘日ロウジツ
 大寒に近い辰の日を臘日とします。小泉光保の「循環暦ジュンカンレキ」に次のように説明
されています。
 「夏カには嘉平と曰ひ、殷インには清祀と曰ひ、周シュウには大錯と曰ひ、秦シンには初て臘
と曰ふ、皆祭の名也、主る者の各其行之盛日を以て祖と為し、終の日を以て臘と為す。
乃至今の臘は辰日を以て臘日に取る。夫れ季冬は水之終時也。辰日は土之位也。乃ち水
土を以て本と為スる故に大寒近き辰日を臘として獣を取って先祖を祭り、鬼神に報する
也、是の故に季冬を臘月と曰ひ大寒に近き辰日を臘日と云ふ」
 しかしかつて,大寒後の戌の日を臘日としたこともありました。神事には吉,嫁娶ヨメ
トリに凶といいます。
△六曜ロクヨウ
 旧暦時代には全く記載のない六曜が,明治以後広く用いられるようになり,今日では
暦を見る目的の一つは,この六曜の日付を知るにあるといっても過言ではない程,隆盛
になってきました。
 六曜とは先勝センショウ・友引トモビキ・先負センフ・仏滅ブツメツ・大安タイアン・赤口シャッコウの六つ
で,旧暦の正月七月の朔日ツイタチには先勝を当て,日を追って前記の順に配当していきま
す。二月八月き朔日に友引を当て,順に日を割り当てます。以下同様に三月九月の朔日
には先負,四月十月の朔日には仏滅,五月十一月の朔日には大安,六月十二月の朔日に
は赤口を当て,以下日を追って順に操クっていきます。
 先勝は先んずれば人を制するから諸事急ぐがよい。友引は「相打ち友引とて勝負なし
と知るべし」とありますが,現在では文字どおり,友を誘引するから葬式の禁忌日キンキビ
とされています。先負は先んずれば負けるといいますので,諸事静かなるがよい。仏滅
は万事に凶,大安は何事もすべて吉,赤口は朝夕は何事も凶,正午頃は吉とされていま
す。
 六曜の吉凶は全く文字の解釈に止り,全く根拠のない取るに足らぬ迷信です。元来中
国に起こり,わが国には鎌倉末期から室町時代に伝わったといわれていますが,中国の
ものとは順次が変わっています。
 
 鎌倉室町時代 大安    留連リュウレン 速喜ソクキ 赤口シャクコウ 小吉     空亡クウモウ
 
 寛政享和頃  泰安タイアン  流連ルレン   則吉ソクキチ 赤口      周吉     虚亡キョボウ
 
 現在     先勝センショウ 友引トモビキ 先負センフ 仏滅ブツメツ 大安タイアン 赤口シャッコウ
 
 このように時代によって順次も名称も変わっています。「長暦」という暦占レキセン書に
「友曳方トモビキカタ」という暦注が記されています。これは子・卯・午・酉の日は卯方ウカタ,
丑・辰・未・戌の日は辰方タツカタ,寅・巳・申・亥の日は巳方ミカタに方位を割当てるもの
で,この日限にその方向に向かって行ってはなりません。勿論この方に葬儀を行い,争
闘をなし首を捨てるは凶であると記しています。これが天保頃の雑書にも友引と混同し
て出ています。友引を友曳方と混同して友引の日に葬式を忌むようになったもので,天
保頃からのことです。

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