04 暦 − 暦書その二
 
              暦 − 暦書その二
 
                     参考:雄山閣発行渡邊敏夫著「暦入門」
 
〈祝日〉
 古来から公家クゲ・武家において公式の祝日とされた行事に,五節句があります。正月
七日の人日ジンジツ,三月三日の上巳ジョウシ,五月五日の端午タンゴ,七月七日の七夕(乞巧
奠キコウデン),九月九日の重陽チョウヨウの節句(以上,後述)です。
 この五節句は,明治の太陽暦採用に伴い廃止されました。
 戦後は,「国民の祝日に関する法律」によって定められています(省略)。
 
〈年中行事〉
 人類が一定土地に定住する農耕時代になりますと,農耕のために季節を知るばかりで
なく,その年の豊饒ホウジョウを祈り,収穫を感謝する儀礼を行うためにも,暦を必要とし
ました。農業を主とする国家や民族では,まず神事・祖霊ソレイ祭祀サイシから,ひいては宗
教的生活に関して,これらの行事を一年一定時期に行うようになりました。
 また,このような行事は,一国家的社会的行事から,家庭的,個人的行事まいでいろ
いろ生まれてきました。これらの行事の中で,季節に従って毎年一定時節に行われるも
のが年中行事です。
 
△七草粥ナナクサガユ
 旧暦(太陰太陽暦,以下同じ。陰暦とも。)の正月七日は人日ジンジツと称して,五節
句の一つでした。この日に,春の七草を入れて焚いた粥を七草粥といいます。七草とは
セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ(地方によっては草
の種類が異なります)のことで,これらを羹アツモノとし,又は粥にして食すと万病を除く
といわれています。この風習は古くから行われてきましたが,新暦(太陽暦,以下同じ。
)の正月七日では季節が早すぎて若菜の入手が難しいです。
 宮廷においては中古以来,白馬(あおうま)の節会セチエが行われました。左右馬寮メリョウ
から白馬を庭に引出し天覧の後,群臣に宴を賜る儀式でした。
△十日戎エビス
 旧暦(現在は新暦)正月十日,商家が福の神「えびすさま」を祭る民間の行事です。
えびす講ともいい,戎神社が賑わいます。
△小正月コショウガツ
 正月十五日を小正月と称し,民間では小豆粥アズキガユをいただきます。関西地方ではこ
の日に松飾りを取り外し,それを集めて焚火する行事があり,これを左義長サギチョウ(ど
んど)といいます。現在はこの日は,「成人の日」として国民の祝日となっています。
△上巳ジョウシの節句
 五節句の一つでした。これは旧暦(現在は新暦)三月三日に行われる雛ヒナ祭りで,雛
人形を飾り,桃の花と白酒シロザケを供えて祝う風習は,古く宮廷,貴族の間に始まり,次
いで武家社会から一般民間へと広く全国に行き亘った行事です。一名桃の節句ともいい
ます。
 上巳とは初めの巳の日のことで,上巳は上三と音通され,三月三日と三が二つ重なり
ますので,重三ともいいます。雛祭は不祥フショウを祓除フツジョするためにお祓いをします。
そのとき形代カタシロとして人形を作り,これに穢ケガレを移して流したことに由来するもの
です。女児の祝う節句です。王朝時代宮廷では曲水キョクスイの宴が張られました。
△花祭
 旧暦(現在は新暦)四月八日は釈迦シャカの誕生日で,仏教寺院では法会ホウエが営まれま
す。花で飾った小さな御堂の中に釈迦の立像を安置アンチし,甘茶アマチャを注ぎます。潅仏会
カンブツエ又は仏生会ブッショウエともいいます。
△端午タンゴの節句
 旧暦(現在は新暦)五月五日に行われた五節句の一つです。端午の節句は男子の祝う
節句として,邪気ジャキを除くために,蓬ヨモギや菖蒲ショウブを軒先に刺し,粽チマキや柏餅カシワ
モチを食べます。この日男児のある家では,庭前に鯉幟コイノボリを立て,武者人形や甲冑カッ
チュウを飾り,その出世を祝うものです。
 端午とは,端は初めの意で,月の初めの午の日のことですが,午は五に通じ,月と日
の数五を重ねて祝う中国の風習から,五月五日を端午としました。現在はこの日は,「
こどもの日」として国民の祝日となっています。
△大祓オオハラエ
 六月と十二月の晦日ミソカ,宮中において諸民の罪穢ツミケガレを祓う神事で,全国各神社で
も行われます。六月の祓ハライを夏越ナゴシの祓,十二月晦日の大祓を年越の祓といいます。
△七夕タナバタ
 旧暦(現在は新暦)七月七日の夜,天の河の東岸にある牽牛星ケンギュウセイ(彦星ともい
います。鷲座ワシザの主星アルテール)と,西岸にある織女星ショクジョセイ(琴座コトザの主星
ベガ)が,一年一回相会するという伝説に因んで行われる星祭で,五節句の一つでした。
女児の裁縫の上達を願って,庭前に香を焚き,物を供え,五色の短冊に歌を書いて竹に
結び,これを立てて祭ったものです。乞巧奠キコウデンともいいます。古く中国からわが国
に伝わり,後世に至っては子女の学業の上達を願ってお祭りするようになりました。
 万葉集に七夕を詠んだ和歌があります。その一つに,
 
  古イニシエゆ 織てしはたを 此夕コノユウベ 衣コロモに縫ひて 君待つ我れも
 
という歌があります。機ハタ織りの巧みな織女が,牽牛との愛に溺オボれ,天帝テンテイの怒り
に触れて,一年に一回だけ逢うことを許され,逢瀬オウセを楽しみに機を織りながらこの一
夜を待っている姿に託タクして詠んだものですが,織女の可憐カレンな姿が眼に浮かぶようで
す。
 牽牛・織女の2星は夏空に輝く最も明るい恒星コウセイで,その距離15光年と26光年(1
光年は,1秒30万qで進む光が1年間を要して到達する距離です。)です。この星は,
恒星の中では地球に近い星で,われわれから見て,両者は36度の角度で天の河を挟んで,
向かい合っています。
 また,万葉集の柿本人麿カキモトノヒトマロの歌に,
 
  天の河 遠きにわたり あらねども 君が船出は 年にこそ待て
 
とあります。
 旧暦の七月七日頃は立秋前後に当たり,空も晴れて西空に上弦ジョウゲン の月がかかり,
天の河を眺めながら夕涼みをして日中の暑さを忘れ,星物語りに時を過ごすよい時季で
す。
△孟蘭盆ウラボン
 孟蘭盆は略して「盆」といいます。七月十三日から十六日までの期間に行われる仏教
上の行事で,梵語ボンゴの Ullambana が語源です。種々の食物を死者の霊に供え,冥福
を祈り,その苦しみを救うことが盆の行事で,この期間に人々は墓参します。十六日は
送盆の日で,夕には門前で送火を焚いて死者の霊魂レイコンを送り帰します。現在では,新
暦の1月遅れで行うところも多いです。
△中元
 正月十五日を上元,七月十五日を中元,十月十五日を下元として祝います。元々中元
は,半年間の無事を祝う主旨のものです。
△重陽チョウヨウの節句
 陰暦九月九日は,陽の極数である月の数九と日の数九が重なるので,重陽と称して祝
ったものです。邪気ジャキを払い延寿エンジュを願って,菊花を浮かべた酒を飲んだ中国の行
事ですが,わが国にも平安朝の初め,宮中の儀式に採り入れられました。重九又は菊の
節句とも称トナえた五節句の一つで,最も公オオヤケの行事とされました。
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