83b 第二章 哀惜さるゝ老将軍の不時の死による深遠厳粛なる同感的な宗教心の目覚め
 
 これが又俗人としての乃木聖雄によって実行された宗教のやり方なのである。聖雄の
やり方は、いつもこうであった。口頭で説教することは全く無かったが、行動の宗教で
あった。これは聖雄が俗人であって、宗教の教祖ではなかったからである。聖雄は何の
宗教も説かなかったが、ほんとうの意味で常に宗教的に行動していた。
 最近のニュース(一九五〇年十二月二十日放送)の中にザラッシュトラの提出した、
この宗教上の見解についての恰好な例がある。愛媛県喜多郡肱川村の土居良子さんと云
う十六才の農家の孤児の少女が、新米の割当供出に常に先駆けをし、しかもそれを数年
続けたので評判になった。この並々ならぬ不断の努力に対して五万円のご褒美をいただ
いたと云うのである。第二次世界大戦に中に父は戦死し、母は病没して以来、彼女は女
の痩腕で弟妹の世話をしながら、これだけのことをして退けたのである。こういう訳で、
この貧しい、かよわい、孤独な少女は政府からご褒美をいただいたのである。
 授与式に当って、吉田(茂)首相は彼女を「社会の光」であると褒めた。式が終ると
直ぐに彼女は最愛の父の霊のいます所と心から信じている靖国神社にお詣りしたのであ
った。彼女の宗教的な感情はまあ何と神道の特質を発揮していることであろう。吉田首
相は上記のように、彼女は吾々社会の光であると賞讃しているが、それは何故であろう
か。彼女の己れを省みない立派な行為こそ、宗教そのものなのである。若しザラッシュ
トラが見ていたら、この少女は宗教の種を播いていると云ったことであろう。
 
 乃木聖雄の場合も、これと全く同様である。両方共実に俗人の宗教なのである。この
種の宗教は教会や寺院の宗教ではなくして、農家の娘の貧しい小屋の内での宗教である。
宗教は決して、あの尊大な僧職の中にあるのではなくして、信心深い田舎人達の簡易生
活の中にあるのである。宗教はあの大僧正のきらびやかな僧服の中にあるのではなくて、
人々の日常生活の平服の中にあるのである。この角度から見れば、乃木聖雄に依って行
われた日常宗教こそ、真の宗教である。そこで吾々は詠って云う。
 
  神道不存時俗宮  神道存せず時俗の宮
  汚心祈福福先空  汚心福を祈って福先ず空し
  誰知斯教真本義  誰れか知らん斯教の真本義
  唯有精誠篤行中  唯だ有り精誠篤行の中
 
 江戸即ち徳川時代の初めに、鈴木正三(一五七〇 − 一六五五)と云う名の俗人の生
活中に殆ど同様なことが見られる。鈴木正三居士は武士であった。しかし退役後は、禅
宗に帰依した。居士は熱心な信者ではあったが、多くの僧侶達のように、世を捨てて寺
の中で暮した訳ではなかった。何故か。それは普通の日常生活の中にこそ真の宗教があ
ると云うのが居士の考えであった。宗教と云うものは決して、雑多平凡な日常生活と全
く異った珍奇な生活の中にあるのではないと。この点で、居士は真の仏教徒ではあるが、
僧侶のような隠遁生活はしないで、俗人として世間的な仕事に従事していたのである。
 鈴木正三居士の例は生涯在俗の信者であった乃木聖雄の場合に酷似している。その生
活は外見上は、釈尊やキリストや黒住宗忠大人の如き神道の神主とは全く違っている。
これ等の人々は、不断に己れの宗教を説き、宣伝して、日々席の暖る間も無かったので
ある。
 
 それにも拘らず、私達は乃木聖雄や鈴木正三居士のような人々は偉大な宗教上の布教
師であり、又真の宗教上の聖者であると思わざるを得ないのである。外形は両人共に俗
人であった。それでありながら、両人共に正直で熱心で、真の意味での宗教の良心的な
信者であった。乃木聖雄の場合は、その全く没我的な、そして喜んで己れを捧げられた
突然の死に依って、人々は深く打たれ、強く動かされ、異常なまでに宗教的な畏敬と崇
敬の念を起させられ、直ちに超人即ち神の如き存在として之れを崇拝するに至ったので
ある。つまり聖雄は神となったのである。かくして聖雄は遂に東京赤坂の聖域に祀られ
た。なおこの外に、京都の桃山、那須野、下関長府、其他に祀られたことは云うまでも
ないことである。
 
 さて、少し横道に外れたが、また神光赫如たる乃木聖雄に帰ろう。霊感を受けた信心
深い人々は云っているように、「見るほど確かなことはない」のである。カーライルは
ルーテルのことを、「彼の偉大さは自覚しない偉大さである」と云っているが、この讃
辞は直ちに乃木聖雄にもあてはまる。と云うのは、聖雄は未だ嘗て、自分の偉大さを自
覚したことはなかった。それがつまり、神であると云うことなのである。
 カーライルがルーテルを讃えたと同様に、吾等は次のように乃木聖雄を讃えないでは
居られない。吾々は聖雄を敬慕して云う。乃木聖雄は真の偉人であった。知力も勝れて
居り、思いやりも深かった。勇気も有り忍耐力も強く、美的情緒や感情も勝れて居り、
正直で、清廉で、天下無比の富士の高嶺に比すべき偉大さである。この偉大さこそ、実
に理想的な偉大さである。セント・オーガスチンが神の偉大さを述べたように、限り無き
偉大さである。つまり、聖雄は理想的な真に偉大なる人格である。即ち神と云う外に云
いようがない。この種の偉大さこそ即ち神である。この偉大さは、唯だ神にのみ帰すべ
きものである。
 
 奇しくも、真宗の開祖親鸞上人(一一七三 − 一二六二)は生きている間は、自分が
神であると云うような意識は全く無かったことである。この仏教の聖者は自からを愚禿、
即ち「禿げ頭の愚人」と称え、全智の阿弥陀仏とは正反対であった。茲に親鸞上人の場
合も神光赫如たる乃木聖雄の場合と同様、自分が神であると云う意識は全くなかったこ
とである。親鸞上人は神であり又神として崇拝されている。そして死んだ時には、永遠
の仏陀の権化として、熱心な信者信徒達から崇敬されたのである。上人は真宗の信徒か
ら見れば「無量光無量寿仏」であった。このようにして、神人即一教型に属する真宗信
仰の特質に示しているのである。
[次へ進んで下さい]