03 神道芸能
 
〔種類〕
 祭典の中に行われる音楽舞踊としては、五節舞ゴセチマイ・御神楽ミカグラ・雅楽・東遊アズマ
アソビ等がある。これら古典的芸能の他に、現在諸社の祭典に行われる比較的新しいもの
として、巫女舞ミコマイ・浦安舞・斎主舞などがある。
 これに対して現在各地に分布し、祭りなどに催される民俗芸能の種類がある。神楽・獅
子舞・延年・田楽・田遊び・風流フリュウなどである。この場合、前述の神事芸能と仏事芸能と
を分ける立場を採る考え方からは、延年・獅子舞などは仏事芸能として除外する。
 
 五節舞は『年中行事秘抄』に、天武天皇の弾琴に合わせて神女が舞い、袖を上げて五
度変わったので、五節と称するなどと云う起源説話を有するが、大嘗祭・新嘗祭の豊明節
会トヨノアカリノセチエのときに舞った。その他、聖武天皇天平十五年(743)五月の賜宴に皇太子
(孝謙天皇)が舞われたことは有名であり、同二十一年の大仏開眼に、諸楽と共に奏さ
れた例などがある。
 五節とは五節折と云う意で、本来天皇を祝福する鎮魂舞踊であったと考えられる。
 雅楽は歴史的には欽明天皇朝(539〜571)以後渡来した外来楽であり、平安朝に入っ
て次第に固有楽と融合を見、日本的雅楽が成立した。これを大別すると、歌物(声楽)
と管弦(器楽)とがある。歌物は神楽歌・久米歌・東遊等の舞を伴う歌舞アタマイと、舞のな
い催馬楽・朗詠などの日本音楽であり、管弦の方は唐楽(左舞)と高麗舞(右舞)とに分
って奏舞する舞楽である。
 
 雅楽系統に属する芸能には、東遊・倭舞・浦安舞・斎主舞がある。東遊は、その語義は東
の国々の音楽と云うことであり、万葉集の『東歌』と関係がある。即ち東歌は東国から
宮廷に献上した風俗歌クニブリウタであり、そうした歌舞が宮廷の大歌所に保存されたものが
東遊である。それが宮廷の祭儀に奏されるだけでなく、諸社にも奉るようになった。そ
の中で古いのが、賀茂の臨時祭などである。古今集卷二十に「ちはやふる賀茂のやしろ
の姫小松よろづよ経とも色は変らじ」と、賀茂の社の永遠を祝う歌が載っている。この
東遊の歌は藤原敏行朝臣の作歌で、東遊中の求子歌モトメゴウタと云う曲で謡う。現在賀茂葵
祭(五月十五日)に奏舞される他、埼玉県大宮市氷川神社の八月の勅祭に、毎年宮内庁
楽師による奉奏が行われ、その他東遊を奏する大社は少なくない。
 倭舞は本来大和地方の古い風俗歌で、それが宮廷儀礼の中に採り込まれて固定を見た
ものとみられる。宮廷以外の諸社にも行われ、拝舞を主とする順舞形式のもので、解斎
適要素を有する歌舞である。
 この他大嘗祭などに固定し行われた国栖舞クズマイ・久米舞・吉志舞キシマイ・隼人舞ハヤトマイや、
悠紀ユキ・主基スキ両斎国の風俗歌舞など古典的歌舞もこの系統に属すると言えよう。
 これに対し、舞楽系統に属する新作としては、多忠朝の作制になる浦安舞、小野雅楽
会考案になる斎主舞などがある。
 
 御神楽は平安朝に成立を見た、宮廷の代表的鎮魂舞踊である。
 宮廷伝来の御神楽に対して民間に行われるものを、里神楽・太々神楽などと云う。民間
の神楽には、その名称を宮廷所伝のものから得ているが、芸能的には直接的関係はなく、
別系統の種々なる先行芸能から生まれ展開したものとみられる。各地に多彩な種類を有
し、その中には中世的様相を残すものもある。
 
 獅子舞もこの系統に属する。その起源は大陸伝来の伎楽の中の師子シシに基づくとも云
われるが、民俗的には強力な想像上の霊物であるシシが人々の生活を脅かす悪霊を圧服
すると云う信仰が、その芸能を展開させたとみられ、一方また、神に捧げる生け贄の動
物であるシシ(鹿・猪)が神に対して服従を誓うと云う、精霊的立場に立つものの芸能化
ともみられる。前者に属するものには、伊勢神宮のお祓いと称して村々を巡回し、幣や
剣を振って悪魔退散・家内安全のお祓いの舞を行う太神楽ダイカグラや、東北地方の山伏神
楽・番楽などで獅子頭を権現と称して、年末・年始にこれを奉じて村々を巡り、悪魔払い・
火伏せの祈祷を行ったりする例がある。後者の例としては、長野県新野の雪祭りでは、
祭りの最後に獅子が、シズメ様と呼ぶ神に鎮圧される所作を演じる。
 獅子舞には岐阜県の数河スゴウ獅子などの如く、肩車に乗ったり曲芸的演技を見せるも
のもある。
 
 農耕に関する神事の中でも、主食たる米作に関する田植神事などの分布は広い。これ
は神事だけでなく、芸能の上にも田に関するものが多く、かつ古くから行われた。『日
本書紀』に、天智天皇十年(671)五月に宮廷で田舞(人偏+舞)タマイが舞われたとあり、
この田舞(人偏+舞)は、田に関する古代の農耕芸能が雅楽風に整頓されたものであっ
たろうと推測される。恐らくその源をなした田の芸能は、現在も行われる田遊タアソビに類
するものであったとみられる。
 田遊は、稲作に関する鎮魂呪術的舞踊を意味する言葉で、田の芸能に関する用語とし
ては、最も基本的なもので、文献に見える以前に遡る古い用例を推測させる言葉である。
即ち、この田遊が、わが国の田の芸能の基幹をなすものであったと言える。これは田の
耕作から収穫までを模擬的に演じ、それによって稲作に関する神にその年の豊穣を約束・
予祝させようとする呪術的神事芸能である。田遊は正月に行うが、実際の田植時の五、
六月頃にも行う。地域により御田オンダ・田植祭・春田打ハルタウチ・田楽などとも称する。
 
 この芸能的展開を遂げたものが田楽デンガクであった。田楽は栄花物語などによっても、
この種の芸能が平安朝に既に行われていたことが知られ、鎌倉時代中期以降芸能として
発達を遂げ、神社の社頭で神事として催す芝田楽シバデンガクの他、臨時に興行的に催され
る勧進カンジン田楽も盛んになり、その脇芸ワキゲイであった劇的物真似芸が発達して田楽の
能を生み、猿楽の能と共に近世まで行われた。現行の田楽は往時の面影を僅かに留める
に過ぎないが、春日若宮のおん祭(十二月十七日)・那智大社扇祭(七月十四日)その他
に催される。
 田植祭・田遊・田楽祭礼の付き物に、風流フリュウがある。室町時代の辞書「下学集」に、
「風流」は風情の義で、拍子物を風流と呼んでいるが、中世には物語や和歌などの心を
意匠化し、目先を変えた風情のある作り物、祭礼の練り物、様々な仕度をし拍子物や歌
を伴う踊などを全て意味するに至り、後には専らその踊りを指すようになった。郷土舞
踊の中でその大部分が、この風流系統に属すると言え、祭礼の中で育った芸能なのであ
る。
 背に特徴ある飾り物を負い胸の太鼓を打ち、或いは鬼・奴・稚児など様々な仕度のもの
が、大勢で陣形を変えつつ練り躍る太鼓踊・雨乞踊・楽打ち・浮立ウリュウ等と称するもの、
獅子頭を被って躍る獅子舞などを始め、念仏踊・盆踊・小歌踊など手踊系統のものも、こ
れに属するものである。
関連リンク 「楽舞考(附和歌)」
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