[詳細探訪]
 
                      参考:小学館発行「万有百科大事典」
 
〈白山信仰ハクサンシンコウ〉
 白山信仰とは、石川・岐阜県境にある白山に対する信仰である。「越コシのしらやま」と
して唱われ、富士山や立山と並んで名山として仰がれる白山(i702米)は、常に白雪を
頂くところから白山の名があり、その崇高さの故に神の鎮まる処として信仰された。
 この山に登拝して開いたのは泰澄タイチョウ大師であって、それは養老元年(717)のこと
であり、その翌年、山頂に社殿が造られた。これを白山本宮、妙理権現、禅定本宮など
と称していたが、今は白山比羊(口扁+羊)シラヤマヒメ神社(旧国幣中社)の奥宮である。
 
 白山への登拝路として、加賀馬場バンバ(白山寺)、越前馬場(平泉寺)、美濃馬場(
長滝寺)のいわゆる三馬場が開かれたのは天長九年(832)であり、このことは、白山へ
の登拝者が次第に多くなったことを物語っている。この三馬場にも白山の神を祀り、加
賀馬場には白山比羊(口扁+羊)神社、越前馬場には白山神社、美濃馬場にも白山神社
が建てられた。
 白山の神は菊理姫尊ククリヒメノミコト、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三神である。白山比羊(口扁+
羊)神社は式内社で、石川県鶴来ツルキ町に鎮座し、早く加賀一宮として崇められ、広く信
仰を請けた。
 
 白山信仰は、元々はわが国古来の山岳信仰に発するもので、これと仏教、特に密教と
が習合して、特殊な信仰となり、入山修行する修験者の山として仰がれた
 白山は、大峰山、葛城カツラギ山、立タテ山、二荒フタラ山、出羽三山、大山、英彦ヒコ山など
と共に、山伏修行の山として知られ、三馬場には坊舎が建ち並ぶようになり、多数の衆
徒が居住したが、明治維新の神仏分離によって、修験道との関係は失われた。
 このように仏教との習合から、白山の神の本地は十一面観音と信ぜられ、清少納言の
『枕草子』に見られるように、その信仰は京都にも知られるようになった。
 久安三年(1147)には延暦寺の末寺となって、その支配を受け、叡山の大衆と並んで
白山衆徒として活動した。叡山との関係から、日吉ヒエ社にも末社として白山社が祀られ
たが、加賀、越前、美濃には早くから白山信仰が普及し、各地に白山社の勧請を見たば
かりでなく、大和その他の国々にも勧請され、全国に二千七百余社の白山神社が存する。
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