ひ 平野神社
 
〈ひらのじんじゃ〉
 平野神社 京都市北区平野宮本町に鎮座、旧官幣大社
 祭神今木神・久度神・古開神・姫神。本社が平安遷都の時、大和国から遷祀されたこと
は、神名式に「平野祭神四社」とある特殊な表記や、また祝詞式に「今木より仕奉り来
れる」とあるによって知られるごとく、もとは高野皇太后天高知日之子姫尊の祖廟とし
て今木に祀られていたのを、皇太后が桓武天皇の皇母にあたるため、皇居近くに勧請さ
れ、格別の待遇を受けたのは、藤原氏の春日社と同様で、皇室の外戚神としてゞある。
延喜の制では四社ともに名神大社、二十二社の上七社の第五位であった。
 祭神は百済王の歴代の中の聖王(523〜53)が鎮祭地名によって今木神、その遠祖仇首
王(214〜33)を久度神、古開(関)神は古と開の二つを合わせた神名で、古は沸流王(
始祖温祚王の兄)、開は肖古王(166〜213)に当たる。これは四代の廟を重んじた周の
祭法に由来する。平野行幸はすでに円融天皇の天元四年(981)に始まり、四月と十一月
の上申日に行われた。平野祭には皇太子の参向例があり、また桓武天皇の後裔が見参に
預かる。当日早旦に天皇は御禊を修して清涼殿第三間で遥拝の儀を行われ、且つ奉幣使
が立てられたことなど他社に異なる例があった。
 
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