神明社シンメイシャ
 
通 称 不動山神明社 鎮座地 鹿角市十和田末広字向平一〇六
御祭神 誉田別命・大山祇命・建御雷命・保食神
    ・大日霊命・日本武尊
例 祭 五月十八日
由 緒 社伝によれば、明暦元年に柴内六右衛門が不動社を勧請し、寛文元年に柴内与
五右衛門が天照太神社を建立したとされる。
 明治初年に不動社と天照太神社が合併して神明社となる。明治六年村社に列せられる。
 同四十一年字苧坪田無格社駒形神社、字八幡平八幡神社、山王神社、八坂神社、同四
十四年字紀の元無格社稲荷神社を合併する。昭和五年五月神饌幣帛料供進神社に指定さ
れる
[画像表示(神明社・松寿庵)] [碑文]
[文化財 「KI10063 神明社親杉」]
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菅原神社スガワラジンジャ
 
通 称 松舘天満宮
鎮座地 鹿角市八幡平字天神館三三
御祭神 菅丞相
例 祭 四月二十五日
特殊神事 探湯式(御湯立)・三ノ岳権現舞(四月二十五日)
由 緒 当社の創建は不詳であるが、松舘天満宮縁記によれば、次のように伝えられる。
 松舘精左衛門精長という智仁勇兼備の館主が無実の罪を蒙むり悩んでいたところ、正
安二年(一説に治安二年)五月二十五日の夜半に夢幻となく衣冠正しき官人が黒牛に乗
り、手に梅花を持ち、精長卿の枕元に来臨して「汝、此の度の災難、無実と雖も遁るべ
き様無し、然りと雖も汝、日頃、予を敬するが故に、今此所に来たり。汝が罪を消滅す
べし、安穏たらむ」と宣ひ、梅花にて三振り招かれ、又「予、倩々思ふに此舘の要害、
四方の景態宜しきに仍て、此の館に安座す。而して近き里人を氏子として衆生の罪障を
消し、諸々の災害を退け、家内の長久を守護し、別だては、無実の罪を救ひ取らせむ」
と宣いて神棚に入らせられると夢が覚めた。精長卿は、神酒、香花、供具を捧げて礼拝
した。日を経ずして無実の罪の晴れた精長卿は、館の内に宮社と華表を建立し、里人と
天神を遷し奉り、天満大自在綱乗天神宮と崇め奉ったと伝えられる。
 現在の本殿は慶安二年の建立と伝えられる。例祭における探湯神事は、作付の吉凶を
占い、奉納舞の三ノ岳権現舞とともに有名である。

[碑文] [松舘菅原神社]


白山神社ハクサンジンジャ(シラヤマジンジャ)
 
鎮座地 鹿角市十和田大湯字白山二三
御祭神 白山姫神
例 祭 五月一日
由 緒 社伝によれば、明暦二年に創建されたといわれている。明治四十三年八月大湯
の神明社に合祀された。
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八幡神社ハチマンジンジャ
 
鎮座地 鹿角市十和田山根字館ケ沢二二
御祭神 誉田別命・大山祇命
例 祭 五月十五日
由 緒 寛文十三年四月、高清水村の昆孫左衛門によって創建されたと伝えられる。
 また別伝によれば、貞享年中に高清水村昆孫左衛門が再建、宝永七年に桜庭安房が建
立し、社領八斗三升を寄進したとされる。
 明治六年村社に列せられる。
 明治四十三年七月神社整理により一村一社とするため、七滝村内、上向字高寺村社山
神社、上向字勝善平村社駒形神社、大地字館村社八幡社など二八社を合併する。大正五
年五月神饌幣帛料供進神社に指定される。
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八幡神社ハチマンジンジャ
 
鎮座地 鹿角市花輪字八幡館三三
御祭神 誉田別命・大日霊命・大山祇命
例 祭 五月十五日
由 緒 創建年代不詳。延宝元年小枝指又左衛門が再建したとされる。享保三年に村中
にて再建する。明治六年村社に列せられる。
 明治四十三年社殿の大改築を行なう。
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八幡神社ハチマンジンジャ
 
鎮座地 鹿角市十和田大湯字関上四一
御祭神 誉田別命・大日霊命
例 祭 五月十五日
由 緒 創建年代不詳。社伝によれば、寛永年中関上村中にて五穀豊穣を祈念して、社
殿を建立したとされる。元文年中に再建される。
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