21 松館老人クラブ区域内の神様
 
名  称    所在地    故事来歴
 
稲荷様     松館野月   祭神 正一位稲荷大明神
               社殿 石造り笠と三段約二尺四面、鳥居二門
               所有者 山崎英男氏
               毎年旧八月十九日、山崎家と下田家等多数の人で賑々
               しくお祭りが現在まで続いている。
               大正時代の初期には相撲を奉納し、誠に盛大であった
               と聞く。今も土俵の跡は残っています。
               祭典の都度立てる幟には「安政三年丙辰八月十九日、
               正一位稲荷大明神、下田河内直亮敬白」とある。
 
総善様     松館     祭神 木ノ下総善
(駒形神社)         社殿 約四尺四面、脚二尺、鳥居一門。
               以前は旧五月五日に部落の牛馬全部、下川の渡り場で
               清めて、別当先頭で絵馬や供餅を奉納し、盛大なお参
               りをした。また子馬を儲けた人達は共同で鳥居を奉納
               した。
               総善様は南部藩岩手県木の下総善より来たる。その時
               来満峠を越え米白川を昇り、現在地を我適地と定め、
               永住す。
               現在地の向いを流れる下川の川石に、馬の足形が二ケ
               所、今でも鮮明に残っている由。
 
薬師様   下モ平ハサバ長峯 祭神 薬師神社
               社殿 石造り二尺位
               昔は青少年男女全員、各家々から稲藁を貰い受け、春
               の終彼岸の夜に十二ケ所(十二ケ月の意、閏年は十三
               ケ所)にその藁を積み上げ一斉に点火し、先祖の供養
               (オジナ・オバナ)をした。家に居る年寄り達は、火
               の燃え具合を見て、その月々の天候の良否、又稲の作
               柄を占ったものである。延焼の危険があるので、今は
               取り止めている。
               境内には赤松の大木二本あり。
 
八幡様   下モ平ハサバ長峯 祭神 八幡神社(薬師様と同じ場所)
               社殿 石造りで、薬師様と同じ位
               所有者は川村義一氏で初代辰治氏が建立したのが始ま
               りで、今まで二度移転している。百数十年前からのも
               のである。
               毎年八月十五日に所有者一族でお参りしている。
 
薬師様     下モ平    祭神 薬師様
               社殿 石造り二尺四面余り
               鎮座地は大字尾去沢八幡平境界付近で、杉の巨樹に囲
               まれている。かつてその内の杉が橋桁に供するために
               伐られたと云う。
               老人クラブ女性会員(敬神婦人会)が草取りをして供
               物等をし、また花壇作りをして何時も綺麗にしている。
 
観音様     下モ平    祭神 観音様、高津神社(千手観音)とも。
(高津神社)         社殿 木造屋根トタン葺、約五尺四面、脚三尺、鳥居
                  一門。
               所有者 山崎英男氏
               昭和八年所有者の父佐六氏、屋根鳥居修繕、遷宮成就。
               昭和四十五年英男氏屋根葺替及び社殿修繕。
               昭和六十三年同氏鳥居建立。
               建立年代不詳(相当古いとのこと)
               祭礼 旧四月十六日、九月十六日
               祭礼の日には、所有者一族が五重持参でお参りしてい
               る。
 
庚申塚     松館     祭神 庚申塚
               所有者 桜田忠良氏
               塚(石塔)は東西に四基並んでいる。東側から一番目
               は最も大きく、梵字のみ確認できるが、他の文字は判
               読できない。
               二番目は約二尺位で、昭和二十年頃、故工藤兼松氏が
               これを見つけて庚申塚として四、五年拝んだが、置場所
               に困り、この地に移転安置した。
               三番目は梵字に続けて「寛政十二年庚申閏四月八日庚
               申」とある。
               この地は昔、松館村の一番上(カミ)に位置し、その
               下に桜の木があり、その根元を小川が流れていた。
               天明六年の年に大飢饉に遭い、然も運悪く松館村に悪
               病が大流行し、村人の三分の二の死者が出る大惨事の
               事態に相なった。途方にくれた村人(部落民)が祈り
               をこめて建立したのが四番目の石塔で、
                    施主
               日天 天明六丙午年    川村 氏
               庚申供養塔婆       藤原 氏
               天地 九月二十日     桜田 氏
                            似鳥 氏
                            佐藤 氏
               とある。二百二年前である。
 
神明様     下モ平    祭神 神明社
               社殿 石造りの約二尺四面
               鎮座地は、尾去沢森ケ崎と松館下モ平の峰境の中腹で
               ある。
               江戸中期頃、有志で建立。その後七名共同で神明田を
               耕作し、旧十月十六日、初穂の新餅を神様に供え、廻
               り宿で当講を実施した。
               昭和の初めに故佐藤長右エ門氏の先代が石のお堂と鳥
               居を建立したが、今は鳥居がない。また当講も何時と
               なくやめている。当時の講宿は佐藤喜蔵、佐藤長右エ
               門、小板橋徳之丞、安保沢エ門、佐藤万助、桜田喜大、
               桂田権平。
 
山神様     天神館    祭神 山神
               社殿 木造約二尺三尺でトタン葺き、脚有り。
               祭礼 十二月十二日
               尾去沢鉱山全盛時代は労働者の多くは信仰し、最近は
               林業々者土木業者等で拝んでいる。
 
山神様     三ノ岳地内  三ノ岳中腹で、松館部落の山麓から二q位の山地(俗
               称下坂・中ノ沢)の小高い所に数段の石段と、社地跡
               の小さな広場がある由。又その峯全体を「山神長峯」
               と呼んでいる。
 
山神様     天神館    昭和四十年頃、三ノ岳中腹(松館寄り)のカベ山で、
               下田初雄氏が石に刻まれた山神様を発見した。
               その後周囲の樹木が繁茂して、所在確認も困難になっ
               たので、昭和六十一年故佐藤修治氏と二人で、前記天
               神館の山神様の側に移転安置した。
               御神体は自然石、表面に「山神」、裏面に「石工阿部
               連中 明治二十七年※月※日」と彫られている。

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