10a 小豆沢老人クラブ区域内の神様
 
名  称    所在地    故事来歴
 
「オ爺ナオジナオ婆ナオバナ」
 オジナオバナは、春彼岸に先祖を迎え送り、祖霊を慰める行事である。この行事は、
様式、唱え言に地域的な差はあるが、やがて来る春を迎える行事として伝承されて来た
ものである。
 その起源は、仏教の「送り火」から来ていると云われ享和三年、北秋田郡十二所で菅
江真澄が「万灯火マトビ」の行事を見たと書いてあることから、その当時から北秋田、鹿
角で行われていた独特な風習であったと言えよう。
オジナオバナは、春彼岸の入り、中日、終い、と三回に亘り行われ、場所は墓地、神社、
或いは丘の上など地域によって異なるが、墓地で行われる例が多い。
 その日になると夕方、藁や芋殻、木の枝など持った子供や若者達が集まり、木の枝で
小屋のようなものを作り、その上に藁を掛けて燃えやすいように準備し、彼岸団子を食
べながら日暮れを待ち、やがて日がトップリと暮れた頃、火を点けて燃やすのである。
その火の燃える間、
 
 オ爺ナ、オ婆ナ
  明かりの宵に
 団子背負ショいに
  来とりらえ来とりらえ
 
と大声で唱え続け、終い彼岸の日には、文言の最後の部分を変えて、
 
 団子背負って
 行っとりらえ行っとりらえ
 
と唱える。
 このように祖霊を迎え送り火が、雪の夜空を輝かして燃え盛り、そして消え、この行
事が終わると本格的な雪解けの季節となる。
 
 この行事のうちで、八幡平小豆沢に残る送り火は特殊である。
 ここでは終い彼岸の日、五ノ宮嶽の中腹に鎮座する峰薬師神社の近い峰で行われ、こ
れは霊が黄泉の国へ迷わないで行けるように火を灯すものであると云われ、峰に連ねて
灯すのである。
 即ち、平年には十二箇所に、閏年には十三箇所に火を灯して、上の方から一月、二月
と数え、火の景気が良く長く燃えているとその月は天候が良いとか、威勢のない時は天
候が悪いとか、凶作だとかいろいろな占いもなされている。
 昔は山に登る男のいない家は、隣近所の男の子に粟殻を一把でも頼んで、峰で焚いて
貰うようにしたものである。
 燃え盛るうちに下山し、この時カスビと云う葡萄の皮で作った松明で火を点け、カス
ビの明かりで足許を照らしながら下山したものである。
 
 因みに、小豆沢の向かい側に位置する松舘においても、これと全く同じ行事が続いて
いた。ハサバ長峰ナガネと云う小山の頂きに鎮座する薬師神社のところから、その年の旧
暦の月数に応じて、藁や茅束を燃やすのである。ところが近年雪解け時期が早くなり、
また直ぐ麓に人家があるため、取り止めになった。また墓地での送り火も同じような理
由で次第に取り止めになった。                      SYSOP
 関連リンク 年中行事[オ爺ナオ婆ナ]
 [文化財 「MI10044 小豆沢のオジナオバナ」「MI10045 宮野平のオジナオバナ」]
 
五ノ宮神社   小豆沢    ○祭神 五ノ宮皇子(菟皇子命)
               ○社殿 一間二間
               ○例祭 五月八日
               ○社伝によれば、だんぶり長者の娘吉祥姫と継体天皇
                の五番目の皇子が、五ノ宮嶽(当時はクマ嶽と呼ば
                れていた)に登って帰らなかったので、その御霊を
                なぐさめるために社殿を建立したのが始まりとされ
                る。江戸時代に社を再建し、嶽参りと称して参拝者
                が訪れている。
 
               [むらのいぶき]
               祭神 菟皇子命
               人皇第四十五代元正天皇勅り、養老二年ご創立。御父
               継体天皇の皇位継承争いに巻き込まれて都を追われ、
               この北奥の地を指して下向された、第五皇子菟皇子が
               早馬に乗り、比内(北秋田郡)から長牛村を過ぎ、小
               豆沢に着くに偶然御母上(だんぶり長者の一人娘 − 
               秀子姫、後吉祥姫)の墳墓並びに大日堂を拝すること
               を得た。
               「吾れ東の高山に上り、苦患修業し、身を終むべし」
               と従臣に告げて登山し、山奥へ山奥へと入山したもの
               である。
               以来、この山を五ノ宮嶽と称し、五ノ宮神社は第五の
               皇子菟皇子を祀っている。
[地図上の位置→]
 
薬師神社    小豆沢    ○祭神 大己貴命・少彦名命
               ○社殿 二間四面
               ○例祭 五月八日
               ○社殿によれば、五ノ宮皇子のめのと夫婦が皇子をた
                づねて来て、亡くなった後で年を経ても婦人の姿が
                現れたので、神社を建てて祀ったのが始まりと言わ
                れる。特に眼病に霊験がある神とされている。
                行基作の薬師如来像があったが、江戸時代の火災で
                焼失したと言われる。
                この社の二十米ほど下に泉が湧いていて、この水を
                飲むと病気をしないとか、眼病に効くと言われる。
 
               [むらのいぶき]
               祭神 大己貴命
               五ノ宮皇子が入山した後を追い、乳母が登山したが追
               い付けず、中腹にて力尽き薬王石と化したと伝えられ、
               その乳母の霊を祀っているのが、この神社である。
               毎年五月八日の祭日には登山して祈祷し、供物を献じ
               て来る。
               峰薬師堂最初の御神体は約三百年前の木造の古いもの
               で、明治初期吉祥院に引き取られて安置されている。
               仏像に数個の石が載せてあるのが珍しい。
               この峰の近くでオジナオバナが行われている。
[地図上の位置→]

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