由 緒 創立年月は不詳であるが、往古より日尊ヒノミコさんとして、社殿らしい住民の魂 の拠り所としての何かあったといわれ、現在の地番も日尊(ひのみこ)字となっている。 慶長年間再建され、以来しばしばの修復を経て、文化四年氏子中にて再建し、現在の 基礎を固めた。明治の初め、社名について藩の役人と村の先達との問答が交され、「ひ のみこさん」を繰り返す村の先達へ、役人が「いなりさん」だろうといって、稲荷神社 になったと言い伝えられている。 今本殿二間四方の中に、文化年間の社殿(神明造二社)が納められている。