由 緒 古伝承によれば鹿角四十二館の一つとして鎌倉以前に創設されたといわれ、文 禄二年再建。正保三年再建。文化二年再建。明治六年に村社に列せられた。同四十三年 字和田熊野神社、字上沢田稲荷神社、字西館駒形神社、字堂前八幡神社を合併した。 また村の東側に摂社毘沙門神社、西側に当八幡神社が在り、共に氏子の尊崇篤く、八 幡神社を鎮守といい、毘沙門さまを産土といい、例大祭は八幡神社で斎行し、秋祭と祈 年祭は毘沙門さまで斎行するのが例となっている。 これは、八幡神社が高台に在って、急勾配に加えて二三四段の石段があり、参進が困 難の為であるからである。
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[文化財 「MI10049 長嶺八幡神社先祓舞」]
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