由 緒 社伝によれば、大同二年に坂上田村麻呂の東征の時奥羽に七所の月山神社を勧 請した中の一社といわれる。毛馬内道(鹿角)惣鎮守として、崇敬されてきた。 近世、荒沢月山大権現とも称し、別当寺の広増寺(真言宗)と羽黒修験不動院によっ て、祭事や管理が行われてきた。 南部藩主の崇敬も篤く、十三石の社領を安堵され、しばしば種々の寄進も受けていた。 江戸時代、三度も火災により焼失したが、そのたびに篤い庶民の信仰に支えられ、見 事に再建されている。鹿角市の文化財に指定されている「小倉百人一首」の献額を始め 数々の絵馬の奉納者名からも、広く篤く信仰されてきたことが知られる。 明治六年、郷社に列せられる。同四十一年一月、神饌幣帛料供進神社に指定される。 同四十一年字大坊館無格社稲荷神社、同四十四年字柏崎神明社、字中野平神明社、字八 幡平八幡神社、字又四郎川原稲荷神社、字白根金山神社、字蟹沢稲荷神社を合併する。 大正十四年七月秋田県社に列せられる。
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[文化財 「YU10001 月山神社本殿」 「MI10034 百人一首献額」 「MI10053 川原大神楽」]
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