[詳細探訪]
 
土深井裸参りの由来について
 
 土深井裸参りは、今から約三三二年前、徳川四代将軍家綱公の時代、寛文十年頃と伝
えられています。寛文五年は、東北地方は長い雨続きに大雨が降り、米代川は大氾濫大
洪水となり田畑はことごとく流失し、農産物は全滅となり悲惨な大災害であったと伝え
られています。この災いは世に対する神々の怒りであり、たたりであるとの占い師の予
言により、この災いを逃れるためには、男は身を清め村の神々に裸参りをするように、
そしてこの行事を毎年行うならば災いはさけられるであろうと申され、その後いつの時
代からか定かではありませんが一年毎に陰暦一月十九日に行われ、綱納め行事のない年
の旧正月には各自が早朝、井戸や小川の水をかぶり身を清め他人と会わないように稲荷
大明神、八幡神社、駒形神社、山の神、唐松神社などを参拝しました。この個人の参拝
は、昭和十八年まで続けられ亡くなりました柳沢善次郎氏をもって最後の年となり、す
なわち昭和二十年の敗戦時には個人の参拝が途絶えたのでございます。しかし部落とし
ての綱納め行事は現在にいたっておりますが、時代の変遷と共に祈願の意義も変わり、
現在は五穀豊穣、無病息災、交通安全と村の平和と発展を祈る裸参り行事となっており
ます。
 
 ワラを真心を込め一本一本丹念によりあげ、しめ縄を作ります。参加者は小学生から
壮年まで各自風呂に入りその後、前の堰で冷水を頭からかぶる「水垢離」をし、心身と
共に身体を清めます。新しいパンツと黒足袋をはいてザンバラをつけ、ワラジをはいて
神官のお祓いを受け、神に誓いの紙を口にはさみ、神に奉納するしめ縄を担いで八幡神
社へ健康長寿を祈願し、その上にある稲荷神社へ五穀豊穣祈願を、そして唐松神社、駒
形神社を参拝し、最後に山の神を参拝後神木に鉄砲をして力を授かることになっていま
す。
 又、当部落は南部、秋田の両藩の境にあり長い間争いが絶えなかったので、住民の平
和を願う心と部落を守る信念が強く、士気の旺盛、意気顕昂として裸参りも相手方に対
する示威行動として受け取られる説もありました。
 私達部落民は先祖の労苦に対し、今後も健康長寿と五穀豊穣を祈願し、裸参り行事を
継続していく所存ですので皆様方のご協力をよろしくお願いいたします。
                                平成十四年二月
 
※上記の一文は、平成14年2月17日に行われた裸参りに際して、土深井部落自治会が街頭
で解説し配付したものです。                       SYSOP
土深井裸参り
土深井裸参り
土深井裸参り
土深井裸参り
土深井裸参り
前画面へ戻る