[詳細探訪(三十番神)2]
 
                         参考:至文堂発行「神道美術」
 
〈三十番神〉
 三十番神の思想は早く、平安時代の初め、円仁エンニン(慈覚大師)が叡山横川の老杉の
洞穴ホラアナに籠もり、一字三礼イチジサンライの儀礼を以って、法華経を書写したことに端を発
する。法華経の功徳クドクについては「授持ジュシ・読誦ドクジュ・解説ゲセツ・書写」などと云
い、法華経の経典を人に授与すること、所持すること、読誦すること、解説すること、
書写すること、何れを行っても同様に有り難い仏典の功徳を受けることが出来ると説く
ことに基づいて、円仁は法華経八卷、開結カイケツ二卷、合わせて七万字を超える経典を書
写することを始めた。円仁のこの写経は前後三カ年程を要しており、完成した経典は根
本如法経コンポンニョホウキョウと称し、これを安置する小堂を根本如法堂と称した。円仁はこの
堂の法華経を守護するために、日本国中の主要な神々三十神を勧請して祀ったが、一カ
月三十日を交替で守護の任に就くように定めて、これを「三十番神」と称した。当番で
守り番をする神様と云う意味で、今も横川如法堂の傍らにこの小祠がある。
 
 中世以降は番神の思想はそのまま日蓮宗に引き継がれ、法華経信仰の流布と共に広く
民衆的な信仰の世界に生き続けるようになった。
 三十番神の名称と当番の日、神像の姿を併せて表示すると次のようである。
 
 一日   熱田大明神    衣冠
 二日   諏訪大明神    狩人姿
 三日   広田大明神    黒束帯
 四日   気比大明神    衣冠
 五日   気多大明神    黒束帯
 六日   鹿島大明神    神将姿
 七日   北野天神     衣冠
 八日   江文エフミ大明神   唐服(女神)
 九日   貴船大明神    鬼神形
 十日   伊勢大明神    黒束帯
 
 十一日  八幡大菩薩    僧形
 十二日  賀茂大明神    黒束帯
 十三日  松尾マツノオ大明神  黒衣冠
 十四日  大原野明神    唐服(女神二人併座)
 十五日  春日大明神    鹿座
 十六日  平野大明神    黒束帯
 十七日  大比叡オオビエ大明神 僧形
 十八日  小比叡オビエ大明神 白狩衣
 十九日  聖真子ショウシンジ宮  僧形
 二十日  客人マロウド宮    唐服(女神)
 
 二十一日 八王子大明神   黒束帯
 二十二日 稲荷大明神    唐服(女神)
 二十三日 住吉大明神    白衣老形
 二十四日 祇園大明神    神将形
 二十五日 赤山セキザン大明神  黒束帯
 二十六日 建部タケベ大明神  黒束帯
 二十七日 三上ミカミ大明神   黒束帯
 二十八日 兵主ヒョウズ大明神  随身形
 二十九日 苗鹿ノウカ大明神   唐服(女神)
 三十日  吉備キビ大明神   黒束帯
前画面へ戻る