05c 修験道と山岳信仰
 
〈修験道に観られる山岳信仰〉
 古来の山岳信仰を基盤として成立し,その後も庶民の宗教生活と密接な関係を持って
展開した修験道においては,民間の山岳信仰と密接に関係しあった要素が少なくありま
せん。そこで以下修験道に観られる山岳信仰を,民間におけるそれと関連付けて論じて
観ることにしましょう。
 修験道の教義に説かれている山岳観の代表的なものは,山岳を曼陀羅と捉える見方で
す。この見方は,既に平安時代初期に成立した『大峰縁起』の中に観ることができます。
それに拠りますと,吉野から熊野に到る大峰山系の吉野側が金剛界曼陀羅,熊野側が胎
蔵界曼陀羅に充当され,峰中の峰々に金剛界,胎蔵界の各部の諸尊が配されています。
その場合,熊野側に位置付けられた胎蔵界の峰々への諸尊の配置の方がより具体的で,
吉野側の金剛界の峰への諸尊の充当は極ゴク僅かです。或いは胎蔵界と云う言葉から推測
されるように,山岳を母なる山mother mountainとし,其処で修行することによって再生
すると云う宗教思想が既に民間の信仰としてあったのかも知れません。また胎蔵界曼陀
羅の中台八葉院の諸尊や,金剛界の大日如来が充当されている処が,民間の山岳信仰に
おいて諸神霊の居るところとされている岩石が累々とした場所や,洞窟・滝などの霊地
であることも興味を引きます。なお山岳を曼陀羅と捉える見方は,大峰山に限らず,九
州の彦山を始め全国各地の修験道の霊山においても観られたのです。
 周知のように密教の教義では,曼陀羅は宇宙そのものを神格化した大日如来,即ち宇
宙の全体像を指すものです。それ故この視点に立つとしますと,山岳を金剛界・胎蔵界
の曼陀羅と捉える見方は,宇宙山の思想を前提としていると云うことができます。因み
に宇宙山は世界の中心軸をなす黄金の山とされていますが,吉野の金峰山は国軸山,金
の御岳と呼ばれているのです。尤も現実には,既に民間においても崇拝されていた山岳
中の霊地に曼陀羅の諸尊を充当させていることから分かるように,山岳曼陀羅観は,山
岳そのものを人間の世界とは異なった諸神霊の住む他界と考える山中他界観を前提にし
ています。換言しますと,既に民間に存在していた山中他界観を密教の立場から説明し
たものが,この山岳を金剛界・胎蔵界の曼陀羅とする思想であったと捉えることができ
るのです。
 他界としての山岳を仏の世界とする捉え方には,密教的色彩の強い山岳曼陀羅観が成
立する以前から幾つかのものが認められました。おそらくその最も早いものは,奈良時
代末まで遡り得る,山岳や海岸近くの岬などを観世音菩薩の補陀洛の浄土とする思想で
す。熊野の那智山,東北地方の月山,関東地方の日光,四国地方の足摺岬,大和の松尾
山などがこれで,其処は修験道の行場として栄えた山岳や岬です。そのような処は補陀
洛浄土とされ,十一面観音などの観音が祀られています。次いで平安時代になり,末法
思想が盛行し弥勒菩薩の信仰が人々の心を捉えるようになりますと,山岳を弥勒菩薩が
説法している兜率天の四十九院とする信仰が生まれて来ます。平安時代末期に成立した
『諸山縁起』に大峰山の内に四十九院があるとしたり,『彦山流記』に彦山四十九窟が
あると説くのは,こうした弥勒思想に基づくものです。やがて浄土思想の成立に伴って,
山中に阿弥陀の浄土が想定されるようになります。熊野本宮や白山を始め阿弥陀如来を
本地仏或いは本尊とする山岳は各地に認められるのです。
 民間の山中他界観は,山岳を死霊・祖霊の居所とする信仰を基にしていましたが,前
述の仏教的色彩をとった他界観にもこの信仰が反映しています。観音の浄土補陀洛の信
仰は,死後遠く中国の舟山諸島にあるとされる補陀洛の他界に往生することを願って,
那智や足摺の浜から船出した補陀洛渡海僧を生み出しました。また吉野の金峰山などに
比定された弥勒の浄土への参詣も,死後兜率天に往生して弥勒の説法を聞くことを願っ
てのことでした。阿弥陀の浄土である熊野への参詣が,極楽往生を求めてのことであっ
たのは云うまでもありません。更に各地の山岳に観られるように,山中の景勝地に弥陀
ガ原など浄土を指す名称を付すると云うように,山中他界観はより現実的な形で表現さ
れたのです。
 山中他界観は山岳に骨を納めたり,墓地を造ったり,供養塔を建てると云うように,
より具体的な形で表現されています。東北の山寺(立石寺),高野山など修験者も関与
することが多かった山岳の寺院に,納骨の風習があることは広く知られています。近年
でも山岳の修験関係の社寺では,祖霊殿を設けて遺骨などを預かっている処は少なくあ
りません。修験者自身も自己の死は,死霊となって山岳に帰ることであるとして,死亡
を「帰峰」と名付けています。大峰山中に数多くある供養塔や木曽御岳の霊神碑などは,
死霊と化して山岳に帰った修験者の霊を弔うためのものなのです。山中には浄土や極楽
のみでなく,地獄も設けられました。特にかつて火山であった山岳では,煙や熱湯が噴
き出している処を地獄谷と呼び,其処には極楽往生出来ぬ死霊が徘徊しているとされま
した。供養のための小石も積まれました。立山・恐山・雲仙・阿蘇などの地獄は特に有
名です。修験者が山中の極楽と地獄を描いた曼陀羅を持ち歩いて,極楽往生のための参
詣を勧めることも少なくありませんでした。中でも立山においては,極楽往生から見捨
てられた女人のために,生前に仮に設けた三途の川を越えて浄土に導き,往生を確信さ
せる「布橋潅頂」と云う特殊な儀礼を生み出しています。
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