108d 菅家後草〈叙意一百韻〉
「荘叟は身を処すること偏・・・・・・殷勤なり、斉物論、洽恰たり、寓言篇」。この三句
は荘子の性格と、その哲学を述べている。荘子名は周、蒙の漆園の役人を勤めた。楚の
威王がかの賢を聞いて招いたが、「生を楽しむ者は、犠牲イケニエを畏れて聘ヘイを辞す」と
答えて行かなかった。身を処する偏なる所以である。その著荘子は八巻三十三篇からな
り、内篇に「斉物論」があり、雑篇中に「寓言篇」がある。彼の所説は、孔子老子二者
の間に立ち、然も別に一派を立てたもので、全編至るところに巧みな寓言を用いて、善
悪美醜と云うのは総て人の作った差別であって、造物者から見る時は、一切が平等であ
り同価であると説いている。
老荘の書は、心を物外に遊ばして、一世の煩悶を忘れようとする者の、必読の書であ
る。公が老荘に魅力を感じたのは当然過ぎる位自然であろう。
− 以上のように、自然の美景に触れ老荘の教えを偲んで、心は和み憂いは消された
心境から見ると、彼の覇気満々の憑衍や、栄達ばかりに捉らわれた王粲は、不幸な人で
あったと思われる。しかし一面、彼等の奇才と能文には羨望も禁じ得ない。
「憑衍」とは漢の杜陵の人。幼児から奇才大志を以て聞こえた。「顕志賦」の作があ
る。
「仲宣」は三国魏の人、王粲の字である。小男で容貌も陋醜であったが、その博識と
速筆とは神の如きものがあったと伝えられる。魏の劉表はその才を愛して、自分の娘を
妻にやった。彼の作で有名な「登楼賦」の冒頭に、「茲コノ楼に登りて四望す、聊か暇日
以て憂を鎖す」とある。
− 私は文才が乏しい上に、今の境遇では詞を作ればその筋からお咎めが掛かると思
えば滅多に作れず、さりとて胸中の物狂ほしさを晴らす術もない時は書かずには居れぬ
気になって、やたらに書きなぐるので、筆先はちびれてしまっている。僅かに貯まった
これらの草稿も見て唱和して呉れる人もない。胸中の思いは一度は紙に書き付けては見
るものゝ、やがて燈火に燃やしてしまうので、後に残るものもない。書いては焼き、書
いては焼き − こうせざるを得ぬのも、前世の因縁だろうと諦めているから、別に惜し
いとも思わぬ。
この頃は、段々と愛楽の念を殺し、臭肉臭菜を避けて精進食を摂り、ひたすら仏に合
掌し、また禅の修業をしようとしている。今の罪網から来る苦しさから解脱し、昔の哲
人達の悟りの境地に近付きたいと念ずるからである。
仰げば空観の月は一点の汚なく輝き、妙法の蓮は地上に遍在している。かの仏は洩れ
なく衆生を救おうとのお誓いを立てられたが、そのお誓いに嘘のある筈はないのだから、
私も必ず救って頂けると信じている。
「皎潔なり、空観の月、開敷す、妙法の蓮」。「空観」は諸法は皆空であるとの理を
悟ることで、それを月で喩えている。「妙法」は微妙の法門で、それを蓮の花で喩えて
いる。茲は夏季の感想だから、月の光も蓮の花も眼前一面に広がる光景と見てよい。
以上で謫所の夏の部分が終わった。
(七)
熱悩煩纔減 熱悩ネツノウの煩ワヅラひ纔ワヅカに減じ
涼気序罔愆 涼気の序愆アヤマつこと罔ナし
灰飛推律候 灰飛んでは律候リッコウを推し
斗建指星躔 斗建トケンしては星躔セイテンを指ユビサす
世路間弥隘 世路間にして弥イヨイヨ隘セマく
家書絶不伝 家書絶えて伝はらず
帯寛泣紫毀 帯寛うして紫の毀アブるゝに泣き
鏡照歎花顛 鏡照して花顛クワテンを歎く
旅思排雲雁 旅思リョシは雲を排する雁ガン
寒吟抱樸蝉 寒吟カンギンは樸ボクを抱く蝉
謫所の秋と、秋への感慨である。
− 炎暑の苦しみも少しく和らぎ、爽涼の気は秋と共にやって来た。地上に夷則の律
の灰が飛ぶのを見、また、天上に北斗七星が西に向かって真っ直ぐに立つのを見て、秋
の訪れを知ると共に、大空は広大なるかなと驚く。
然るに、私の世間は日と共に狭くなり、故郷からの便りもとんとやって来ない。する
と、そうでなくても物思いの多い秋なので、妻子のことが案ぜられてならず、身は痩せ
細って帯も締まらぬ始末、紫衣の破るゝに泣き、白髪を写し見ては泣く − 何れ悲しか
らぬものはない。
真に謫所の思いは、虚空に雲を掻き分けて飛んで行く雁の気持ちにも似て心細く、木
皮に止まって鳴く寒蝉ツクツクボウシの声にも似てやるせない。
前段ではやや悟りに近かったが、簡単には悟れぬ深い悩みだから、茲では涙が茂く流
れている。梅雨明けの薫風時と、時雨シグレ降る粛々たる秋と − 季節と人の心とが照応
する緊密さ、この季に涙の多いのもさもあるべきことであろう。
「灰飛んでは律候を推し」。礼記月令の「孟春の月・・・・・・律は大簇に中アタる」の鄭註
に、「律は気を候ウカガふの管、銅を以て之を為ツクる。中、猶ほ応ずるが如し。孟春の気
至れば、則ち大簇の律応ず」とあり、更にその註疏に、「気候を推すには、十二律の管
の中に、蘆の孚(草冠+孚)フ(茎の内部にある薄皮)を焼きて灰としたものを詰め、羅
(薄絹)を以て覆ふ。節気至れば、羅先づ応ず。孟春の気至れば大簇の律応じ、孟秋の
気至れば夷則の律応ず。以て節気を推す」とある。
「斗建しては星躔を指す」。同じく礼記月令に、「孟秋の月、日翼に在り。昏クレは建
星中し、旦アシタに畢中す」とあり、註に、「斗、申に建つの辰トキなり」とある。「星躔」
は星の巡る軌道。
(八)
一逢蘭菊敗 一たび蘭菊の敗るるに逢ひ
九見桂花円 九たび桂花ケイクワの円マドロカなるを見る
帰室安懸磬 室に帰って懸磬ケンケイに安く
戸(戸冠+冂構+口)門懶脱鍵 門を戸(戸冠+冂構+口)トザして鍵を脱トるに懶モノウし
跛羊(爿偏+羊)重有執(執冠+糸) 跛羊(爿偏+羊)ヒショウ重ねて執(執冠+糸)
ホダシ有り
瘡雀更加攣 瘡雀サウジャク更に攣レンを加ふ
強望垣牆外 強ひて望む垣牆エンシャウの外
偸行戸甫(片偏+戸冠+甫)前 偸ヌスみ行く戸甫(片偏+戸冠+甫)コイフの前
山看遥縹緑 山は遥かに縹緑ヒャウリョクを看
水憶遠潺湲 水は遠く潺湲ゼンクワンを憶ふ
俄頃贏(贏の貝の代わりに羊)身健 俄頃ガケイ贏(贏の貝の代わりに羊)身ルイシン健やかに
等閑残命延 等閑トウカンに残命延ぶ
形馳魂兄(立心偏+兄)々 形馳ハせて魂兄(立心偏+兄)々キャウキャウたり
目想涕漣々 目想オモひて涕漣々レンレンたり
京国帰何日 京国ケイコクには帰らむこと何れの日ぞ
故国来幾年 故国には来らむこと幾ばくの年ぞ
謫所の冬、小春日和の頃の感想。
− 此処に遷って来てから、春と秋とを一度ずつ送り、九ケ月を過ごした。
その間、何一つ装飾物もない殺風景な居間ながら、この部屋に居るのが一番気易いの
で、門を開けて外出するなどは遠慮して来た。逃げるにも逃げられぬびっこの羊が、更
に綱で縛り付けられているように、また、飛ぼうにも飛べぬ傷付いた雀が、更に痙攣さ
え起こしているように、我と我が身を束縛して謹慎している身なので、世間を見るとて
は、僅かに垣根越しに外面を望んだり、或いは、窓辺に佇んで外を眺める位のものであ
る。
目をやれば、彼方には山は縹色ハナダイロに連なって見える。この小春日和には、氷も解
けて、小川はさらさらと音を発てて流れているだろうなどと想像していると、暫くは病
苦も打ち忘れ、うかうかと惜しからぬ生命も延びる心地がする。
しかし、やがて想いは遠く京の山河に走る。あゝ懐かしい京の山河よ。何時の日にか、
相接することが出来ようかと、冷厳な現実を振り返ると、茫然自失し、涙は止めもなく
流れることである。
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