07 禊と祓
 
             禊ミソギと祓ハラエ
 
                     参考:大法輪閣発行三橋健氏編「神道」
 
 ▼はじめに
 日本人の罪悪感を表す言葉に、「罪ツミ」と「穢れケガレ」があります。この二つの言葉
は、言うまでもなく宗教的な意味あいで使用されますが、同時に倫理的・道徳的な立場
においても用いられます。この罪や穢れを捨て去って、心身ともに清らかに立ち返るた
めに行われる神道的儀式が、次に述べようとする「禊ミソギ」と「祓ハラエ」です。禊と祓
は、神道の根本的思想を為す儀式として重視されてきましたが、その思想が広く日本人
の生活の中に現在も活かされていることは、注目すべきことです。
 
 ▼禊と祓の混合
 抑もソモソモ禊と祓とは、文字が違うように、本来は異なる儀礼でありました。しかしそ
の機能が似ていることから、既に奈良時代初期には混合して用いられました。禊をハラ
ヘと読んだり、祓をミソギと読んだりしていました。さらに「禊祓」「祓禊」のように
複合語として、ミソギハラヘ・ハラヘミソギとか、単にミソギ又はハラヘとも読んでい
ました。
 元来は、禊とは穢れを除去するための儀式であり、祓とは罪を除去するために行われ
る儀式なのであります。
 そこで現在では、罪と穢れは「罪穢れ」という複合語として、一般に用いられていま
す。
 
 ▼禊の起源説話
 さて、記紀(古事記と日本書紀)神話に拠りますと、伊邪那岐大神は竺紫ツクシの日向
ヒムナの橘タチバナのあわぎ原にある小さな水門ミナトにおいて、黄泉ヨミの国の穢れを除くために
禊祓ミソギを行いました。このことが一般に禊の起源であると言われています。ところが、
神話の内容を詳しく検討してみますと、そこにおいては禊だけでなく、祓も行われてい
たのです。即ち「古事記」には次のように記されています。
 
  「吾アはいなしこめしこめき穢キタナき国に到りてありけり。かれ、吾は御身ミミの禊ミソキ
 せむ、とのらして、竺紫の日向の橘の小戸ヲドの阿波岐原アハギハラに到りまして、禊祓
 ミソキしたまひき」
 
 これは、汚い黄泉の国から脱出してきた伊邪那岐大神が「私はなんと汚い国へ行った
ものだ、禊をしよう」と言われて、竺紫の日向の橘のあわぎ原にある小さな水門ミナト、つ
まりに朝日のよく当たるところの水門ミナトにおいて禊祓をされたということです。
 さていよいよ禊を行うことになりますが、その前に伊邪那岐大神は、身につけていま
した物を悉く投げ棄てられました。このときに投げ棄てたのは、御杖・御帯・御嚢ミフクロ
・御衣ミケシ・御褌ミハカマ・御冠ミカガフリ・左の手纏タマキ・右の手纏などでした。これらから十
二柱の神々がお生まれになりました。
 
 ▼禊の本義
 このように、身に着けていたものを悉く脱ぎ去られ、水中に身体を浸し、身体を振っ
て罪穢れを洗い落とされました。これは衛生上のためではなく、そうすることによって
魂を純潔無垢の状態に立ち返らせる効果があるものと言われています。
 畢竟しますに、水中で身体を振ることは、一種の魂振りタマフリ(鎮魂チンコン)の所作なの
です。
 因みに、禊の字には古くは、身曽貴ミソキ・身祓ミソキ・潔身ミソキ・身滌ミソキなどと表記され
ています。
 
 ▼祓の本義
 次に祓も禊と同じく、人間を不幸にする罪や穢れを除去する神道の重要な儀式の一つ
です。祓は、罪穢れを贖うための料リョウとして差し出す祓具ハラエツモノ(祓物・祓柱・祓種
ハラエグサとも)を用います。六月と十二月に行われる大祓オオハラエの神事に祓具として差し出
す形代カタシロ・人形ヒトガタなどがそれです。これらの祓具を用いて身体を撫で、それに罪穢
れを移して川や海へ流して消滅させるものですが、身体を撫でることから、一名撫物
ナデモノともいいます。
 さて、大祓においては、大祓詞オオハラエノコトバを読み上げます。大祓詞には人間の犯した、
また犯すであろう種々の罪が列挙されており、それらの罪がどのような道筋を辿って祓
われて行くかを述べています。
 それは、人間が犯した罪は、瀬織津ヒメセオリツヒメという神によって川から海へ運ばれ、
次に速開都ヒメハヤアキツヒメトいう神によって、海へ運ばれてきた罪がすっかり呑み込まれま
す。次に伊吹戸主イブキドヌシという神によって、それらの罪が息吹き散らされて根の国の
方へ吹き込まれます。すると根の国底の国の速佐須良ヒメハヤサスラヒメという神によって、そ
れらの罪が背負われて、当所アテドなく流離サスラいながら失われてしまいます。このように
流離いながら失わせて下さるので、罪は無くなってしまうのですと記されています。
 つまり人間の犯した種々の罪は、この四神によってすっかり祓われてしまいますので、
これらの四神を祓戸ハラエドの神といいます。
 
 ▼祓の起源説話
 「古事記」に拠れば、須佐之男命は高天原において種々の罪を犯されたとあります。
それらの罪と、大祓詞に列挙されている天つ罪とは符合します。また罪を犯せば、その
償いとして多くの贖物アガモノを出さなければなりません。これを千位置戸チクラノオキドといい
ます。これは全財産を没収されたことを意味しますが、それでも埋め合わせることが出
来なくて、今度は髭や手足の爪を切られ、遂に高天原を追放されたのでした。これがわ
が国における祓の起源であると言われております。注目されますのは、須佐之男命が大
きな祓(大祓オオハラエ)を科せられていることです。
 ところで、須佐之男命が高天原を追放されていく有り様を、最も詳しく伝えているの
は「日本書紀」一書第三です。即ち次のように伝えています。
 
  時に、霖ナガメふる。素戔嗚尊スサノオノミコト、青草を結束ユひて、笠蓑カサミノとして、宿を衆
 神に乞ふ。衆神の曰イハく、汝は是躬ミの行濁悪ケガラハしくして、逐ヤラひ謫セめらるる者カミ
 なり。(中略)遂に同に距フセく。是を以て、風雨甚ハナハだふきふると雖イヘドも、留トマり
 休むことを得ずして、辛苦タシナみつつ降りき。(中略)笠蓑を著キて、他人の屋ヤの内に
 入ることを諱イむ。又束草ツカクサを負ひて、他人の家の内に入ることを諱イむ。此を犯す
 こと有る者をば、必ず解除ハラヘを債オホす。此、太古の遺法なり。
 
 ここには、祓の神である素戔嗚尊の本質を知る上で、甚だ重要な場面が展開していま
す。「青草を結束ひて、笠蓑とし」「辛苦みつつ降り」ていく姿は、恰も大祓の人形
ヒトガタを髣髴ホウフツとさせます。また笠蓑姿で他人の家に入るのを穢らわしいとして避け、
これを犯すようなことがあれば、必ず祓いをしなければならないとあり、これを太古の
遺法としているなどは、この一節が大祓と深い関係にあることを示しています。大祓詞
には最後に、天下四方アメノシタヨモの罪を背負って、根国ネノクニ底国ソコノクニを流浪する速佐須良
ヒメハヤサスラヒメという女神が登場しますが、この女神は、素戔嗚尊の変形ではないかと推察
されます。
 「古事記」に拠れば、出雲国において、八岐ヤマタの大蛇オロチを退治し、草薙剣クサナギノツル
ギ(三種神器の一つ)を得て、それを天照大御神に奉献し、櫛名田比売クシナダヒメと結婚し
て八島士奴美ヤシマジヌミ神をお生みになり、また神大市比売カムオオイチヒメを妻にして大年神と宇
迦之御魂ウカノミタマ神をお生みになるなど、多くの子孫をもうけられたとあります。
 高天原において悪神とされました素戔嗚尊は、出雲国では忠誠を尽くす勇敢な善神へ
と生まれ変わっています。そこには何が行われたのか。既に明らかなように、大祓オオハラエ
が執り行われたのです。つまり祓を経たことにより、素戔嗚尊は新しく生まれ変わるこ
とができたのです。ここに祓の本義がみられるのです。
 
 私共の生活を不幸にする種々の罪・穢れ・災い・病気・過ち・咎トガなどを除去して、
清浄無垢な心身に還るための神道的儀式が禊祓です。
 清浄無垢な状態には、真があり、善があり、美があります。これに反して罪穢れの状
態は、偽であり、悪であり、醜です。これら偽・悪・醜を取り去って真・善・美の状態
に還るための神道的儀式が禊祓なのです。

[次へ進む] [バック]