03 明治天皇御百首
 
              明治天皇御百首
 
                  参考:大坂毎日新聞社謹輯「明治天皇御百首」
 
                    本稿は、大正元年十二月発行の「明治天皇
                   御百首」を参考にしました。本書の中、「刊
                   行の辞」及び、「御製百首」、「大意」を採
                   り上げ、補足的に説明てしある記述は省かせ
                   ていただきました。
                    本御製の中の幾つかは、神道、即ち日本古
                   来のわが国体の根本理念として、頂戴致して
                   おります。
                    また、本御製は、本来の和歌の基本となる
                   べき「五七五七七」の三十一文字の鑑でもあ
                   ります。現在、和歌を志向している一部の人
                   々の間においては、この基本を逸脱している
                   ように見受けられますが、これは好ましいこ
                   とではありません。日本人の文化を正しく、
                   的確に表現するには、「五七五七七」の鉄則
                   を守って初めて成就するものと考えます。
                    本稿中万一、不正確な表現がありましたら、
                   誠に恐縮でございますが、ご叱責の上、ご指
                   摘下さいますようお願い致します。  SYSOP
 
〈はじめに〉
 
[刊行の辞]
 茲に大正二年新玉の歳を迎ふるにつき、わが大坂毎日新聞は、明治天皇御登遐後の初
めての新正、今上陛下御践祚後の初めての新年の紀念として、明治天皇御製一百首を謹
輯し、恐れながら御製拝誦につきて一々註釈を附し、御製に関した明治天皇御聖徳の御
事蹟を録して一部となし、「明治天皇御百首」と名づけて、刊行することとなった。
 
 承はれば、御製は実に九万余首のの多きに数へられ、其中にて世に漏れ聞えたのが五
百余首あり、御歌所には皆拝写して秘蔵せられある、斯く御歌所に秘められある御製が、
世間に漏れたのは、全く故高崎御歌所長のたまものにて、何某博士はこれを高崎翁の大
なる功とたゝへられ、それと同時にまた翁の所為を避難した人もあったさうであるが、
推するに、高崎翁は、聖徳ある大御心を直接に切実に民間に知らせ感化の力となすは、
御製にありと信じて、一部の思惑を憚らず、之を伝へたものと信ぜられる、されば高崎
翁自身も、我を知るものはそれを御製の漏洩か、我を罪なるものもまた御製の漏洩かと
思ったであらうと相察される、斯く高崎翁は、御製の世に伝へられたことに深き関係が
ある、若し高崎翁無かりしならば、御製が斯く世に伝はることは、今までに或は無かっ
たかも知れない、現に御製の注解書が、幾分刊行され、中には誤りを伝ふるものもある
ので、御歌所に於ても、昨今は御製に関する注解や漏洩を禁ぜざるまでも成るべく左様
のことをせぬやうにとの用意であるとのことである、これに就て御歌所主事阪正臣氏の
如きも帝室に於かせられて一日も早く完全なる御製集の御発表あらせられよかしとはわ
れ等も渇望する所であると話された、斯様に御製の注解に就ては、当局が慎重に注意し
て居るのであるから、此「御百首」に於ても、此に用意を怠らなかったつもりである。
 
 しかも此書を刊行したのは、唯だ御製を世に知らせるといふのではない、陛下が、人
の心の誠は、敷島の道の言の葉、即ち歌にあらはれると仰せられた通り、陛下の大御心
を直接に切実に国民が感じ奉り拝受し得るのは、此御製の外には無い故に、御製の内、
陛下が皇祖皇宗の御遺訓を奉ぜられ、国を思ひ国民を思ひたまひし大御心の殊に著くあ
らはれたもの、申さば帝王道徳の意味のものを多く謹輯し、一の修身教科書とする主旨
である、元より御製は、花鳥風月に関するものでも、唯だ御感じになった事が、御製に
あらはされたまへば、それが直に御教訓になるのであって、実に御製の総てが、深く高
く大なる修身教訓と申すべきではあるが、今は古例に依って御百首に止めたわけである。
 
 明治天皇陛下は、御八歳の時より、日々御父帝より五六の勅題を賜はり、歌を御詠み
になった、御幼少の頃より五六首を御詠みになるといふは、まことに天禀にわたらせら
れたのである、此おたしなみがあってからこそ、世界帝王中の詩人として歌聖と仰ぎ奉
られるわけである、御歌の会ある時に一夜百首と称し、侍臣を集め題を賜はり、一夜に
百首を詠み給ふに、陛下には毎も早くお詠み終りになり、侍臣中には苦吟徹夜に及ぶも
のもあった、斯く歌がお好であっても、決してそれが為に御政務に煩ふことはなかった、
平素政務奏上の折は、元より専心国務に当らせられ、少しも御詠歌を考へさせたまふ御
有様は拝されなかった、余裕綽々と申すべき御気色にて、その間にふと御即興になるの
であった、高崎翁が、御歌拝見を仰せつけられた時、条件として、詠歌の御嗜好を過さ
せ給ひて、大切なる国政を疎んじ給ふやうなこと無き事、御請けの上は厳師たらんこと
を期する事、随って不敬不遜に渉るやうな事を申上ぐることもあるべく、この点につい
て予め勅許を得たき事等を奏上し、陛下は何れも嘉納遊ばされ、高崎翁は御製拝見の栄
誉と御歌御上達の厳師としての功勲とを全うした、これは御製に関して、記し置くべき
事である。
 
 此「明治天皇御百首」は、軍人に取りては義勇精神の鍛錬となるべく、教育家には、
倫理修養の聖訓となるべく、政治家実業家あらゆる階級の国民に取りて、身を立て道を
行ふ上に、鑑となるのである、若しまた一般夫婦兄弟親子の家庭に於ては、御百首の一
々を拝誦しあひて、互に志を立て徳をみがくの基とすれば、一身一家の平和繁栄、必ず
期して待つべしと信ず。
 
 明治天皇御製は、皇室と国民とを一つに化する精神である、魂である、国基を国民の
心底に堅むる万世不変不朽の聖訓である、昔、羅馬のマーカス、オレリアス帝は、「黙
想録」一部を遺して、帝王の哲人、哲人の帝王と称されてある、比し奉るは畏けれど、
明治天皇御製は、実にマーカス、オレリアス帝の「黙想録」に対せられて、世界未曾有
の帝王詩人、詩人帝王の御遺詔であると申して然るべく信ず、神武天皇以来空前の偉大
なる御人格は、御製に光烈の輝きを示されてある、われ等は、今御製を謹輯する光栄を
得て、不敬を思ふに遑あらず、所見をも述ぶるに至ったのを諒とされたし。
 
                          大阪毎日新聞社編者 謹記
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