19d 巻二十
私ワタクシの拙懐オモヒを陳ノぶる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
天皇スメロギの とほきみよにも おしてる 難波ナニハのくにに あめのした しらしめし
きと いまのよに たえずいひつつ かけまくも あやにかしこし かむながら わご
大王オホキミの うちなびく 春ハルの初ハジメは やちくさに はなさきにほひ やまみれば
見ミのともしく かはみれば 見ミのさやけく ものごとに さかゆるときと めしたま
ひ あきらめたまひ しきませる 難波宮ナニハノミヤは きこしめす 四方ヨモのくにより
たてまつる みつぎの船フネは ほり江エより みをびきしつつ あさなぎに かぢひきの
ぼり ゆふしほに さをさしくだり あぢむらの さわぎきほひて はまにいでて 海
原ウナバラ見ミれば しらなみの やへをるがうへに あまをぶね はららにうきて おほ
みけに つかへまつると をちこちに いざりつりけり そきだくも おぎろなきかも
こきばくも ゆたけきかも ここみれば うべし神代カミヨゆ はじめけらしも
桜花サクラバナいまさかりなり難波ナニハの海ウミ おしてる宮ミヤにきこしめすなべ
右ミギは二月キサラギ十三日トヲカアマリミカ(天平勝宝七年)兵部ツハモノノツカサノ少輔スナイスケ大伴
宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ(巻二十)
あられふりかしまのかみをいのりつつ すめらみくさにわれはきにしを
右ミギは那賀郡ナカノコホリ(常陸国)上丁カミツヨボロ大舎人部オホトネリベノ千文チフミ(巻二十)
あしがらの みさかたまはり かへりみず あれはくえゆく あらしをも たしやはば
かる 不破フハのせき くえてわはゆく むまのつめ つくしのさきに ちりまゐて あ
れはいははむ もろもろは さけくとまをす かへりくまでに
右ミギは倭文部シヅリベノ可良麿カラマロ(巻二十)
けふよりはかへりみなくておほきみの しこのみたてといでたつわれは
右ミギは火長クワチャウ今奉部イママツリベノ与曽布ヨソフ(巻二十)
あめつちのかみをいのりてさつやぬき つくしのしまをさしていくわれは
右ミギは火長クヲチャウ大田部オホタベノ荒耳アラミミ(巻二十)
たびゆきにゆくとしらずてあもししに ことまをさずていまぞくやしき
右ミギは寒川郡サムカハノコホリ(下野国)上丁カミツヨボロ川上部カハカミベノ巨老オホキナ(巻二十)
あも刀自もたまにもがもやいただきて みづらのなかにあへまかまくも
右ミギは津守ツモリノ宿禰スクネ小黒栖ヲグルス(巻二十)
つくひやはすぐはゆけどもあもししが たまのすがたはわすれせなふも
右ミギは都賀郡ツガノコホリ(下野国)上丁カミツヨボロ中臣部ナカトミベノ足国タリクニ(巻二十)
くにぐにのさきもりつどひふなのりて わかるをみればいともすべなし
右ミギは河内郡カフチノコホリ(下野国)上丁カミツヨボロ神麻続部カムヲミベノ島麿シママロ(巻二十
)
ゆこさきになみなとゑらひしるへには こをらつまをらおきてらもきぬ
右ミギは葛餝郡カツシカノコホリ(下総国)私部キサキベノ石島イソシマ(巻二十)
あめつしのいづれのかみをいのらばか うつくしははにまたこととはむ
右ミギは埴生郡ハニフノコホリ(下総国)大伴部オホトモベノ麻与佐マヨサ(巻二十)
おほきみのみことにさればちちははを いはひべとおきてまゐできにしを
右ミギは結城郡ユウキノコホリ(下総国)雀部ササキベノ広島ヒロシマ(巻二十)
防人サキモリの情ココロに為ナりて思オモヒを陳ノべて作ヨめる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
大オホキミ王の みことかしこみ つまわかれ かなしくあれど 丈夫マスラヲの 情ココロふりお
こし とりよそひ 門出カドデをすれば たらちねの ははかきなで 若草ワカクサの つま
はとりつき 平タヒラけく われはいははむ 好去マサキくて 早ハヤ還カヘり来コと まそでもち
なみだをのごひ むせびつつ 言語コトドヒすれば 群鳥ムラトリの いでたちがてに とどこ
ほり かへりみしつつ いやとほに 国クニをきはなれ いやたかに 山ヤマをこえすぎ
あしがちる 難波ナニハにきゐて ゆふしほに 船フネをうけすゑ あさなぎに へむけこが
むと さもらふと わがをるときに 春霞ハルガスミ しまみにたちて たづがねの 悲カナ
しみ鳴ナけば はろばろに いへをおもひで おひそやの そよとなるまで なげきつる
かも
反歌カヘシウタ
うなばらに霞カスミたなびきたづがねの かなしきよひはくにべしおもほゆ
いへおもふといをねずをればたづがなく あしべもみえずはるのかすみに
右ミギは兵部ツハモノノツカサノ少輔スナイスケ大伴宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ作ヨめり。(巻二十)
からごろもすそにとりつきなくこらを おきてぞきぬやおもなしにして
右ミギは国造クニノミヤツコノ丁ヨボロ小県郡チヒサガタノコホリ(信濃国)他田舎人ヲサダノトネリ大島
オホシマ(巻二十)
ちはやぶるかみのみさかにぬさまつり いはふいのちはおもちちがため
右ミギは主帳丁フミビトノヨボロ埴科郡ハニシナノコホリ(信濃国)神人部ミワヒトベノ子忍男コオシヲ(
巻二十)
おほきみのみことかしこみあをくむの とのびくやまをこよてきぬかも
右ミギは小長谷部ヲハツセベノ笠麿カサマロ(巻二十)
防人サキモリの悲別カナシキワカレの情ココロを陳ノぶる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
大王オホキミの まけのまにまに 島守サキモリに わがたちくれば ははそばの ははのみこ
とは みものすそ つみあげかきなで ちちのみの ちちのみことは たくづぬの し
らひげのうへゆ なみだたり なげきのたばく かこじもの ただひとりして あさと
での かなしき吾ワが子コ あらたまの としのをながく あひみずは こひしくあるべ
し 今日ケフだにも ことどひせむと をしみつつ かなしびませ 若草ワカクサの つまも
こどもも をちこちに さはにかくみゐ 春鳥ハルトリの こゑのさまよひ しろたへの
そでなきぬらし たづさはり わかれがてにと ひきとどめ したひしものを 天皇
スメロギの みことかしこみ たまほこの みちにいでたち をかのさき いたむるごとに
よろづたび かへりみしつつ はろばろに わかれしくれば おもふそら やすくもあ
らず こふるそら くるしきものを うつせみの よのひとなれば たまきはる いの
ちもしらず 海原ウナバラの かしこきみちを しまづたひ いこぎわたりて ありめぐり
わがくるまでに たひらけく あやはいまさね つつみなく つまはまたせと すみの
えの あがすめがみに ぬさまつり いのりまうして なにはつに 船フネをうけすゑ
やそかぬき かこととのへて あさびらき わはこぎでぬと いへにつげこそ
反歌カヘシウタ
いへひとのいはへにかあらむたひらけく ふなではしぬとおやにまうさね
二月キサラギ二十三日ハツカアマリミカ(天平勝宝七年)兵部ツハモノノツカサノ少輔スナイスケ大伴宿禰オホ
トモノスクネ家持ヤカモチ(巻二十)
まくらだちこしにとりはきまがなしき せろがまきこむつくのしらなく
右ミギは上丁カミツヨボロ那珂郡ナカノコホリ(常陸国)桧前舎人ヒノクマノトネリ石前イハサキの妻メ大伴
部オホトノベノ真足女マタリメ(巻二十)
おほきみのみことかしこみうつくしけ まこがてはなりしまづたひゆく
右ミギは助丁スケノヨボロ秩父郡チチブノコホリ(武蔵国)大伴部オホトモベノ少歳ヲトシ(巻二十)
武蔵国ムサシノクニノ部領コホリ防人使サキモリヅカヒノ掾マツリゴトビト正オホキ六位上ムツノクライノカミノシナ安曇宿
禰アヅミノスクネ三国ミクニが進タテマツれる歌ウタ
さきもりにゆくはたがせととふひとを みるがともしさものもひもせず
右ミギは昔年サキツトシの防人サキモリの歌ウタなり。(巻二十)
昔年サキツトシ相アヒ替カハりし防人サキモリの歌ウタ
やみのよのゆくさきしらずゆくわれを いつきまさむととひしこらはも(巻二十)
[次へ進んで下さい]