18 巻十九
 
  天平勝宝テンピャウショウハウノ二年フタトセ三月ヤヨヒ八日ヤウカ、白シロき大鷹オホタカを詠ヨめる歌ウタ並マタ
  短歌ミジカウタ
あしひきの 山坂ヤマサカ超コえて 去ユき更カハる 年緒トシノヲながく しなさかる こしにし
すめば 大王オホキミの 敷キき坐マす国クニは 京師ミヤコをも 此間ココもおやじと 心ココロには
念オモふものから 語カタりさけ 見ミさくる人眼ヒトメ 乏トモしみと おもひし繁シゲし そこ
ゆゑに 情ココロなぐやと 秋アキ附ヅけば 芽子ハギ開サきにほふ 石瀬野イハセヌに 馬ウマだき
ゆきて をちこちに 鳥トリふみ立タて 白塗シラヌリの 小鈴ヲスズもゆらに あはせやり ふ
りさけ見ミつつ いきどほる こころのうちを 思オモひ延ノべ うれしびながら 枕マクラ附
ツく つま屋ヤの内ウチに 鳥座トクラゆひ すゑてぞ我ワが飼カふ 真白マシラふのたか
 
   反歌カヘシウタ
矢形尾ヤカタヲのましろの鷹タカを屋戸ヤドにすゑ かきなで見ミつつ飼カはくしよしも(巻十九
)
 
  勇士マスラヲの名ナを振フるを慕シタふ歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
ちちの実ミの 父チチのみこと ははそばの 母ハハのみこと おほろかに 情ココロ尽ツクして
念オモふらむ 其ソの子コなれやも 丈夫マスラヲや むなしくあるべき 梓弓アヅサユミ すゑふ
りおこし 投矢ナグヤもち 千尋チヒロ射イわたし 剣刀ツルギタチ こしにとりはき あしひき
の 八峯ヤツヲふみ越コえ さしまくる 情ココロ障サヤらず 後ノチの代ヨの かたりつぐべく 
名ナをたつべしも
 
   反歌カヘシウタ
丈夫マスラヲは名ナをし立タつべし後ノチの代ヨに 聞キき継ツぐ人ヒトもかたりつぐがね(巻十九)
 
  家婦メの京ミヤコに在イマす尊母ハハノミコトに贈オクらむに、誂アトラへられて作ヨめる歌ウタ並マタ短
  歌ミジカウタ
霍公鳥ホトトギス 来キ喧ナく五月サツキに 笑サきにほふ 花橘ハナタチバナの 香カぐはしき おや
の御言ミコト 朝暮アサヨヒに 聞キかぬ日ヒまねく あまさかる 夷ヒナにし居ヲれば あしひき
の 山ヤマのたをりに 立タつ雲クモを よそのみ見ミつつ 歎ナゲくそら やすけくなくに 
念オモふそら 苦クルしきものを 奈呉ナゴの海部アマの 潜カヅき取トるとふ 真珠シラタマの 見
ミがほし御面ミオモワ ただ向ムカひ 見ミむ時トキまでは 松柏マツカヘの さかえいまさね 尊タフト
きあがきみ
 
   反歌カヘシウタ
白玉シラタマの見ミがほし君キミを見ミず久ヒサに 夷ヒナにしをればいけるともなし(巻十九)
 
  挽歌カカナシミウタ並マタ短歌ミジカウタ
天地アメツチの 初ハジメの時トキゆ うつそみの 八十伴男ヤソトモノヲは 大王オホキミに まつろふ
ものと 定サダめたる 官ツカサにしあれば 天皇スメロギの 命ミコト恐カシコみ 夷ヒナ放サカる 国
クニを治ヲサむと あしひきの 山河ヤマカハ阻ヘダて 風雲カゼクモに 言コトは通カヨへど 正タダに
遇アはぬ 日ヒの累カサナれば 思オモひ恋コひ 気イキつき居ヲるに 玉桙タマホコの 道ミチ来クる人
ヒトの 伝言ツテゴトに吾ワレに語カタらく はしきよし 君キミはこのごろ うらさびて 歎息
ナゲかひいます 世間ヨノナカの 厭ウけくつらけく 開サく花ハナも 時トキにうつろふ うつせ
みも 常ツネ無ナくありけり たらちねの 御母之命ミハハノミコト 何如ナニシかも 時トキしは有ア
らむを まそ鏡カガミ 見ミれども飽アかず 珠緒タマノヲの 惜ヲしき盛サカリに 立タつ霧キリの 
失ウせぬる如ゴトく 置オく露ツユの 消ケぬるが如ゴト 玉藻タマモ成ナす 靡ナビきこい臥フし 
逝ユク水ミヅの 留トドめかねつと 狂言タハゴトや 人ヒトの云イひつる 逆言オヨヅレか 人ヒトの
告ツげつる 梓弧アヅサユミ 爪ツマよる音オトの 遠音トホトにも 聞キけば悲カナしみ 庭ニハたづみ
流ナガるる涕ナミダ 留トドむかねつも
 
   反歌カヘシウタ
遠音トホトにも君キミが痛念ナゲくと聞キきつれば 哭ネのみし泣ナかゆ相念アヒモふ吾ワレは
世間ヨノナカの常ツネ無ナきことは知シるらむを 情ココロ尽ツクすな丈夫マスラヲにして
   右ミギは大伴宿禰オホトモノスクネ家持ヤカモチ、婿ムコ南ミナミ右大臣家ウダイジンケ藤原二郎フヂハラノ
   ジラウが慈母ハハを喪ウシナへる患ウレヒを弔トブラへるなり。(巻十九)
 
  京師ミヤコより来贈オコせる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
わたつみの かみのみことの みくしげに たくはひおきて いつくとふ たまにまさ
りて おもへりし あがこにはあれど うつせみの よのことわりと ますらをの ひ
きのまにまに しなさかる こしぢをさして はふつたの わかれにしより おきつな
み とをむまよひき おほふねの ゆくらゆくらに おもかげに もとなみえつつ か
くこひば おいづくあがみ けだしあへむかも
 
   反歌カヘシウタ
かくばかりこひしくあらばまそかがみ みぬひときなくあらましものを
   右ミギは大伴氏オホトモウヂ坂上サカノヘノ郎女イラツメ、女子ムスメの大嬢オホイラツメに賜タマへるなり。
   (巻十九)
 
大殿オホトノの 此コの廻モトホリの 雪ユキな踏フみそね 数シバシバも 零フらざる雪ユキぞ 山ヤマの
みに 零フりし雪ユキぞ ゆめ縁ヨるな人ヒトや な履フみそね雪ユキは
 
   反歌カヘシウタ
有アりつつも見ミしたまはむぞ大殿オホトノの 此コのもとほりの雪ユキなふみそね
   右ミギの歌ウタは、三形沙弥ミカタノサミ、贈ゾウ左大臣サダイジン藤原フヂハラノ北卿キタノマヘツギミ
   の語コトを承ウけて誦ヨめるなり。(巻十九)
 
  春日カスガにて神カミを祭マツる日ヒ、藤原フヂハラノ太后オホキサキの作ヨみませる歌ウタ。即スナハち
  入唐ニットウノ大使タイシ藤原朝臣フヂハラノアソミ清河キヨカハに賜タマふ。
大船オホブネに真梶マカヂ繁貫シジヌき此コの吾子アゴを 韓国カラクニへ遣ヤるいはへ神カミたち(巻
十九)
 
  大使ツカヒノカミ藤原朝臣フヂハラノアソミ清河キヨカハの歌ウタ
春日野カスガヌにいつくみもろの梅ウメの花ハナ 栄サカえて在アり待マて還カヘり来コむまで(巻十
九)
 
  大納言ダイナゴン藤原家フヂハラケにて入唐使等ニットウシタチを餞ハナムケする宴ウタゲの日ヒの歌ウタ
天雲アマグモの去ユき還カヘりなむものゆゑに 念オモひぞ吾ワがする別ワカレ悲カナしみ(巻十九)
 
  民部タミノツカサノ少輔スナイスケ多治比真人タヂヒノマヒト土作ハニシの作ヨめる歌ウタ
住吉スミノエにいつく祝ハフリが神言カミゴトと 行ユくとも来クとも舶フネは早ハヤけむ(巻十九)
 
  天平テンピャウノ五年イツトセ、入唐使ニッタウシに贈オクれる歌ウタ並マタ短歌ミジカウタ
虚ソラ見ミつ 山跡ヤマトの国クニ 青丹アヲニよし 平城ナラノ京師ミヤコゆ おし照テる 難波ナニハにく
だり 住吉スミノエの 三津ミツに舶フナのり 直タダ渡ワタり 日入国ヒノイルクニに 遣ツカハさる わ
がせの君キミを 懸カけまくも ゆゆしき恐カシコき 墨吉スミノエの 吾ワが大御神オホミカミ 舶フナ
のへに うしはき坐イマし 舶フナともに 御立ミタタし坐イマして さしよらむ 磯イソの崎崎サキ
ザキ こぎはてむ 泊泊トマリトマリに 荒アラき風カゼ 浪ナミにあはせず 平タヒラけく 率イてか
へりませ もとの国家ミカドに
 
   反歌カヘシウタ
奥浪オキツナミ辺波ヘツナミな越タちそ君キミが舶フネ こぎてかへり来キて津ツには泊ハつるまで(巻十
九)
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