30c イスラム思想1
 
〈来世利益を目指す〉
 イスラムにおいては人間の生は現世(ドニヤー)で終わるものではなく,来世(アーヒラ)に
続くものと考えています。コーランにおいては神の唯一性に次いで,人間の復活に重点
が置かれているのが特徴です。イスラム以前の遊牧民もメッカの民も,人間は死ねばそ
れで全てが終わり,復活することは真剣に考えていませんでした。それに反論してコー
ランは,人間は復活して最後の審判を受け,この世における行為に応じて個人的に報い
を受け,来世に入ると云う思想を彼等に明確に対置しました。終末観を盛り上げる最後
の審判とは,
 
 汝の主の懲らしめは必ず起こる。それを妨げるものはない。大空がぐらぐら揺れ,山
 々があちこち動き出す日,その日こそ,啓示を嘘だと云って,虚偽の泥沼にいい気持
 ちで沈んでいたものは哀れなものになる。(コーラン 五二,七−一二)
 
のように山が裂け,地が揺れる天変地異として描き出されます。コーランは現世の享楽
に耽り,復活を嘲笑するメッカの不信の民を前に,復活が神の業であり,来世が確かで
あることを繰り返し説き聞かせるのです。
 来世は現世の個人的報いの結果とされますが,現世の報いは民族全体にではなく,個
々の人に対してなされるのです。ですから,イスラム思想には他人の罪を背負って罪を
贖うと云う贖罪観はありません。元々,原罪の考え方もなく,人は生まれながら純白の
状態において,それがイスラム教やユダヤ教,キリスト教に染まり,それぞれの信徒に
なると考えられているのです。こうして,イスラム教徒になっても罪の誘惑には弱くて,
罪を犯しやすく,逆に善行を積むこと出来るのが人間と云うことになるのです。
 
 イスラム教徒は一人一人,現世においてひたすら宗教的義務(イスラムの義務)を果たし
て,来世において自ら天国に入ろうとし,地獄に堕ちるのを避けようと心掛けます。現
世と来世は直線的に連続するもので,輪廻のように循環して現世が前世の生まれ変わり
であるとは説明されません。イスラム教徒が現世において宗教的に励むのは,現世にお
いてその報いを期待するよりも,寧ろ来世において天国に入るための準備と考えるから
なのです。この意味から,イスラム教は基本的に現世利益の宗教ではなく,来世利益を
目指す宗教と云えるでしょう。

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