3001a イスラム思想2
 
〈イスラム法における宗教的義務〉
 イスラム法は大きく観て,宗教的義務又は宗教儀礼と信徒間の関係を云います。縦と
横の関係から成ります。その宗教的義務はイバーダートと呼ばれ,これを行うことにお
いて神に対する義務を果たせば,確実に救済に通じると信じられています。それが縦の
関係としますと,「行動の規範」(ムアーマラート)と呼ばれるものは信徒間の横の関係を成し
ます。このように,イスラム法は狭義の宗教的義務だけではなく,広義には生活の基本
をも規定したもので,次のその概要に述べます。
 宗教的義務は礼拝,断食,巡礼,喜捨,その他の柱から成ります。
 礼拝は,最も基本的な宗教的義務の中の第一のものとされます。礼拝は,キブラと云
ってメッカのカァバ宮殿の方向に向かって,一日に五度(シーア派はそれを三度にまと
めています),毎日欠かさず行われます。「神は偉大成り」「偉大なるわが主に称賛あ
れ」「至高なるわが主に称賛あれ」「アッラーのほかに神なし,マホメットはその預言
者なり」などと唱え,そして最後に「あなたの上に神の平安あれ」と首を右,左に振っ
て同じイスラム教徒の同胞のための平安と幸福を祈るのです。
 断食は礼拝に次ぐ第二の基本的な義務とされ,罪の浄化と神の意志への服従のために
行うのが目的です。毎年一度,ヒジュラ暦(イスラム世界の太陰暦)の神聖月の一つラ
マダーン(ラマザーン)月には信徒は日中,一月間の断食行が義務付けられます。この期間
中,日中は食事と飲み物(タバコも含む),水,夫婦の交わりは禁忌となり,心の中の卑
しい考えも避けるようにします。断食の後は味覚が特に冴えると云われ,断食月の夕食
は特別盛り沢山です。なお,病人や旅人はこの期間の断食は免除されますが,後日同期
間断食してこれを補わなければなりません。
 イスラム世界の中心であるメッカへの巡礼はハッジと呼ばれます。この巡礼は自分の
全てのものをなげうってアッラーに帰依する自己犠牲の証しとして行われます。巡礼に
参加したことによって,全世界のイスラムが皆同胞であると云う意識が培われる訳です。
人種,民族,貧富,身分の上下を問わず,全てのイスラム教徒が同じ巡礼服を纏い,皆
がただ一つの目的,即ちアッラーを賛えるために,全く同じ仕方で参加することによっ
て,人間は皆,アッラーの前において平等であることが実感できます。これがイスラム
教徒の説く巡礼の意義です。全世界のイスラム教徒は,老若男女を問わず,出来れば一
生のうち一度か数度のメッカ巡礼を念願しており,このための蓄えに勤しんでいるので
す。
 巡礼と共にイスラム法の柱,基本の一つにザカート(喜捨)があります。これは,わ
れわれが恩恵を受けている神に支払う金品と考えられます。本来の意味は「浄め」のこ
とで,ハディースにおいては「神は汝らの財産を浄めるためザカートの義務を定められ
た」と教えています。また,コーランにおいては礼拝の遵守と並んでザカートの提供が
信徒の義務として表現されています。われわれが獲得する財産や所得は,個人の所得に
属する限り不浄であり,財や所得は本来,神による委託と考えなければならないと云う
教えなのです。
 ザカートはイスラム教徒だけの宗教的義務ですから,イスラム世界に含まれる他教徒
には適用されません。イスラム法においてはザカートが課される財は現金収入,家畜,
果樹,穀物,商品などです。また,ザカートの収入を配分され受給されるものは,コー
ランに示されるように「両親と親類縁者,孤児と貧しいもの,旅行者」などです。
 
 その他の宗教的義務にジハード(聖戦)があります。,ジハードは初期イスラム教徒
が敵対するメッカの不信の徒に対して行った戦いに基づいて生まれた宗教上の義務です。
 例えば,コーランの句(二,一八六−九)には,
 
 おまえたちに戦いを挑むものがあれば,アッラーのために戦え。しかし,不義を犯し
 てはならない。アッラーは不義を犯すものをお好きにならない。彼らと遭遇するとき
 はどこでも戦え。そして,彼らがおまえたちを追いだしたところから彼らを追いだせ。
 ・・・・・・騒擾ソウジョウがすっきりなくなるまで,宗教が全くアッラーのその一本になるま
 で彼らを相手に戦え。しかし,向こうが止めたなら,おまえたちも攻撃を止めよ。だ
 が,悪人は別だ。
 
 同じくコーラン(九,五)においては,
 
 神聖な月(古来,戦いは禁じられた)が明けたときは,神に伴侶を帰するもの(一神
 教の徒でないもの)は出会い次第殺せ。彼らを捉え,追い込み,待ち伏せよ。しかし,
 彼らが悔い改め,礼拝の努めを守り,喜捨を差し出すなら放免せよ。
 
と命じ,また,ユダヤ教徒やキリスト教徒との戦いについては,イスラム教徒の支配を
彼らが認めるまで戦うように,
 
 さらに聖典を授与されながら真の信仰を拒否するものに対しては,彼らが平身低頭し
 て貢税(人頭税)を提出するまで戦え。
 
と命じられております。
 ジハードは,イスラムが原点において一つの教団を創ってメッカを相手に戦ったこと,
預言者が同時に政治家・軍総司令官であったことと無関係ではありません。イスラム世
界が他の外部の世界を征服し教勢を拡大するのも,ジハードの原則に拠ります。
 ジハードを「聖戦」として戦闘の意味に解釈する立場のほかに,広義にイスラムの教
えを伝えること,社会悪,文盲,貧困,病いと闘うこととする立場もあります。開発途
上国においては,開発を阻害する要因との戦いを屡々ジハードの名において呼びかけた
り,内面的な悪との不断の闘争や努力とも解釈されています。
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