51a 日本の歴史と神話・伝説
 
〈「古栽培民」の神話〉
 わが国を始め、ギリシャ、ゲルマン、エジプト、メソポタミア、インドなどの古代文
化には、共通要素があります。ドイツの民族学者A・E・イエンゼンが「古栽培民」の神話
として包括したのは、人間と同じように死んでしまう、不死ではない神々の世界を語っ
ている神話で共通している点でした。それは熱帯地方におけるイモ、ヤシ、バナナなど
の果樹類を栽培している人々の生活から生まれたと説明されています。殺された神の身
体が切り刻まれてばらばらとなり、その一つ一つの断片からイモや果樹などが発生し、
人間はこれを主食にしたと云う主題です。イエンゼンが特に特徴付けたのは、「ハイヌ
ウェレ神話」であり、この手本モデルはモルッカ諸島のセラム島に住むウェマーレ族の神
話に登場する女神ハイヌウェレです。殺された女神の存在は、人類の生存のために必要
であるとする、古栽培民の世界観が投影していると考えられています。
 
 一方、わが国神話の中の同様な動機は、従来から指摘されているように、『古事記』
におけるスサノオノミコトに殺害された女神オオゲツヒメのばらばら死体から作物が生
じたと云うものです。即ち頭から蚕、両目から稲、両耳から粟、鼻から小豆、陰部から
麦、尻から大豆が生まれ、此処に農業と養蚕の起源が語られています。『日本書紀』に
は、ツキヨミノミコトによって殺されるウケモチノカミのことが記されており、矢張り
其処に作物起源が説かれています。
 
 こうした神話の残存が後世顕在化して行き、「女殺し」の主題の持つ伝説を生み出し
ていることは注意すべきです。伝説の上で、田植えのときに殺害された女の話は、かつ
て山中太郎が注目しました。田植えに際して、昼飯を運ぶ女性が中心であり、オナリ或
いはヒルマモチと呼ばれ、何らかの事故で死を遂げてしまいます。例えば足利市の水仕
神社の縁起に拠りますと、この神社の祭神はかつて、土地の長者の家に仕えた下女でし
た。女は長者の家の赤子の子守をしていましたが、ある年の田植えの時期に、早乙女た
ちの昼飯を田圃に運んでいる最中、主人夫婦から預かっていた赤子を死なせてしまいま
した。そのため狂乱状態となった下女は、近くの池に投身自殺をしてしまいました。そ
れ以後、池の側を通る人の影が水に映ると、池に呼び込まれてしまうと云うので、その
池を「影取りの池」と呼んだと云う伝説が生じています。この女性は神に祀られました
が、その神像は、頭上に飯櫃を戴き右手に杓文字を持つ姿でした。この女性は田植えの
早乙女たちの弁当を運ぶ役に位置付けられていますが、本来は田の神に神饌を奉納する
巫女であったと思います。そして乳呑子を何時も抱いていたと云いますので、生殖力を
持つ女性を象徴シンボライズしていることにもなります。これが長者に仕える下女即ち若い
女で、田植えの最中に自殺したと云う筋になっています。
 
 千葉県印旛地方の伝説では、その若い女の名前はお鶴と云います。印旛村の長者の家
に奉公しており、子持ち女でした。矢張り田植えの最中に昼食を運ぶ役割です。或年、
全員の弁当を背負い篭に入れ、その上に子供を載せて運んで行ったところ、村人に「子
供を弁当の上に載せるとは、もし汚物を付けたらどうするのだ」と罵ノノシられ、折角運ん
だ弁当を、全て田の中に捨てられてしまいました。お鶴は面目なくて、長者の家に戻れ
ず、そのまま印旛沼に投身自殺してしまったと云います。やがてお鶴は神に祀られるこ
とになる訳であり、その背後には、共通して「女殺し」の主題があります。
 同工異曲の伝説である「嫁殺し田」は、作り方としては、旧家の嫁と姑の対立から、
姑の嫁苛イジめの要素も含まれ、近世農村社会の実情の反映があります。若い嫁が広大な
田圃の田植えを嫁に命じられます。嫁は早朝より一所懸命に田植えをしますが、大きな
水田なので半分も済まないうちに太陽が西に沈みかかります。嫁は腰を屈めたまま股の
下から残りの田を見渡すと、余りにも広い面積が残っているので、衝撃ショックを受けて田
植えをしている姿のまま死んでしまいました。それ以後この田を「嫁殺しの田」と呼ぶ
ようになりました。
 
 田植えをする嫁も、弁当を運ぶ下女も、共に生殖能力を十分に持つ若い女性であり、
彼女たちは田植えの最中、死を迎えます。これは「ハレ」の祭儀の過程で語られる重要
な事実として記憶に留められるべき性質の出来事であったと思われます。神話の中では、
オオゲツヒメが、自らの汚物を料理してスサノオノミコトに捧げると云う図式です。オ
オゲツヒメの死は明らかに穀霊殺しにも通ずるものでしょう。女神が殺されると云う神
話は、そのことによって人間の食物が繰り返し再生されることを説明しています。水田
稲作社会が中心になった地域では、稲米作りの田植えにおいて、生殖力に富む女殺しが、
犠牲と云う形で豊作を予測させることになります。神話の女神殺しが伝説化するには、
核となる農耕祭儀が其処に存在することが明らかなのです。
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