49a 天地創造の謎「人類の始まり」
 
〈天から下って来た人間の祖先〉
 
 人類の起源を物語る神話には、このほかにも様々な種類があります。『リグヴェダ』
に歌われたインドの神話では、「人間は、世界巨人のプルシャが神々によって生贄とし
て殺され、その屍体から世界が造られた時に、この巨人の身体の種々の部分から、四つ
のカストに分かれて発生した。即ち、プルシャの口からは祭司ブラーフマナが、腕から
は戦士クシャトリヤが、腿からは庶民ヴァイシャが、足からは賎民シュードラが、それ
ぞれ生じた」とされています。また、北欧神話に拠りますと、オージンとヘニルとロー
ズルの三神が、二本の流木から、最初の人間の男女アスクルとエムブラを造ったと云い
ます。
 ゾロアスター教の教典に記されたイランの神話に拠りますと、「人類の祖先の原人ガ
ヨーマルトは、最高神オールマズドとその娘の大地女神スペンダルマトの結婚から生ま
れた。この原人は、大悪魔のアリーマンによって殺されたが、彼が死ぬ時に漏らした精
液が、母親のスペンダルマトの胎内に入り、その結果、四十年後に大地から十五枚の葉
を持つ一本の植物(大黄ダイオウの一種)が生え、それがやがて十五歳の人間の男と女にな
った。この最初の男と女は初めは互いの身体が密着して区別の付かぬ形をしていた」と
云います。
 
 アメリカでは、前述のズニ族とは反対に、ワラウ族の神話では人間の祖先は天から下
って来たと云い、これは世界の方々に見出されます。わが国の海幸彦・山幸彦の神話と良
く似た、インドネシアのケイ諸島の次の神話もその一例です。
「昔、三人の兄弟が二人の姉妹と一緒に天上に住んでいた。ところがある時のこと、末
の弟が長兄から釣針を借り、雲の海で魚釣りをしていた間に、魚に針を取られてしまっ
た。帰宅した弟からこの話を聞いた長兄は酷く腹を立てて、弟にどうしても無くした針
を返せと、厳しく要求した。弟はそこで仕方なく、また小舟に乗って雲の海に潜り、方
々探し廻っていると、其処に一尾の魚が現れ、彼に同情して、仲間の魚の喉に引っ掛か
っていた針を見付けて来て呉れた。これを持って家に帰った弟は、針を兄に返した後で、
彼に無理を言って困らせた兄に復讐しようと企み、兄の寝床の上に椰子酒が入った竹筒
を結び付けて置いた。そして、兄が起きようとして竹筒をひっくり返し、中の酒をこぼ
すと、弟はどうしても酒を元に戻せと要求した。兄は困って、酒が染み込んだ処の地面
を、一生懸命に掘っていたが、そのうちにとうとう、天に穴を穿けてしまった。兄弟姉
妹は、この穴の下に何があるか知ろうとして、まず犬に綱を付けて下ろし、また引き上
げて見ると、犬の足に白い砂が付いていた。そこで、彼等は、天の下にも住める世界が
あることを知り、四匹の犬を連れ綱を伝って地上に下り、人間の祖先になった。ただ姉
妹の一人は、この時降りる途中で兄弟に下から見上げられたのを恥じ、綱を動かし天界
の住人に合図して、また天上に引き上げられてしまった」
 
〈近親相姦によって生じた人類〉
 
 親子同士や父母を同じくする兄弟姉妹同士の間の結婚を禁止する、近親婚の禁忌は、
人類の全ての文化に共通して見られますが、神話ではこのように屡々人類は、人祖の男
女によってなされた近親婚から発生したことになっています。
 兄弟姉妹の結婚から人類が生じたと云う話は、西南中国の少数民族や台湾のアシ族な
どの間では、洪水伝説と結び付いた独特な形を執って見出されます。日本神話の研究者
の中には、この型の人祖神話の影響が、伊邪那岐命と伊邪那美命の話の中に認められる
と考える人が多い。次の話は、四川省に住むヤオ族の間に伝わるものです。
 
「昔、人類に対して怒った玉皇は、大洪水を起こし、地上の住人を滅亡させた。ただ、
伏羲フクギと彼の妹の女咼(女扁+咼)ジョカだけは、彼等が前に親切にもてなした神仙に
教えられ、竹篭に乗ってこの難を免れることが出来た。
 洪水が終わって二人が篭から出て見ると、生き残った人間は彼等兄妹だけだったので、
二人が結婚する以外には子孫を儲ける方法はないと思われた。兄妹はこの結婚の可否に
つき、話し合ったが、結論が着かなかったので、終いに女咼が、『私が走るのを、あな
たが追い掛け、もし追い付いたら結婚しましょう』と提案した。そして伏羲が同意する
と、彼女は大きな山の周り回って走り始め、伏羲は懸命に追ったが、七周しても追い付
けなかった。
 ところが、これを見ていた亀が伏羲に、向きを変えて逆に回れば直ぐに女咼を捕まえ
られると、教えて遣った。伏羲が言われた通りにすると、女咼と鉢合わせして、彼女を
捕まえることが出来た。
 伏羲は女咼に結婚を迫ったが、女咼は、『亀が余計な口出しをしたので、これだけで
は結婚の可否はきめられぬ』と言い張った。そして今度は、二人で挽き臼の上下の部分
を分けて持って、向かい合った山の頂上に登り、其処から同時に転がしてみて、もし山
の下で二つの部分が巧く重なり合ったら結婚しようと提案し、その通りにしてみると、
不思議にも臼の上下は、山の麓でぴったり重なった、そこで女咼も遂に、兄との結婚に
同意したが、二人の間に最初に生まれた子は、一個の肉の塊だった。しかし、伏羲が腹
を立ててこれを刀で切り刻むと、不思議にも切られた肉片の一つ一つが、皆人間となっ
た」
 
〈伊邪那岐命イザナギノミコトと伊邪那美命イザナミノミコトの結婚譚は、人祖神話の変形か〉
 
 西南中国に住むヤオ族やミヤオ族、イ族などの間には、前述のような大洪水で人類が
滅亡した後、ただ二人だけ生き残った兄妹の結婚から、現在の人類が生じたと云う内容
の人祖神話が多数見出されます。これらの話は、前にも触れましたが日本神話の伊邪那
岐命と伊邪那美命の結婚の話と、幾つか良く似た点を共有していると考えられています。
 尤も、この二神から生まれたとされていますのは、人間ではなく国土と神々です。ま
た勿論人類を滅亡させた大洪水のことは全然出て来ません。しかしこの二神の結婚譚に
は、有力な専門家の指摘するように、次の諸点においては確かに、西南中国の洪水神話
と類似していると認められましょう。
 
(1) 伊邪那岐命・伊邪那美命の二神の結婚は、大洋の直中タダナカに出現した陸地の上で行
われた。これは西南中国の神話に兄妹婚が、世界が水に覆われた後に出現した陸地の上
でなされているのと似ている。
(2) 二神は、『日本書紀』の一つの箇所でははっきりと、両者共に青橿城根尊アヲカシキネノ
ミコトと云う神の子であると云われている。つまりこの二神の結婚も、兄妹婚であった。
(3) 二神の結婚は、淤能碁呂島オノゴロジマに立てられた天の御柱ミハシラの周りを回りながら
成された。これは、西南中国のヤオ族の神話でも兄妹が、山の周りを回ったとされ、ま
たヤオ族の別の話では、樹の周りを回ったとされているなど、屡々高いものの周りを一
緒に回って、その後で結婚したと云われているのと似ている。
(4) ヤオ族の兄妹が続いて、更に山の上から石臼を転がして結婚の可否を占ったとされ
ているが、二神においても初めの結婚が失敗した理由を知るために、天に上って天神の
支持に従い占いをしたと云う挿話と類似していると指摘する専門家もいる。この占いに
よって兄妹婚の可否を問うと云う主題も、例えば、二つの山の上で線香を焚いてその煙
が結合したらとか、川を挟んで家を建て、川の真ん中で髪の毛が結び付いたらなど、様
々な形を執って西南中国の洪水神話の中に頻出ヒンシュツする。
(5) 二神の結婚から最初に生まれた子は、出来損ないの水蛭子ヒルゴだったとされている。
この子の形が、ヤオ族の兄妹婚から生まれた肉塊とか、又は手足や眼鼻のない不具児で
あるのを想わせます。
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