08 [国譲り]
 
〈特使派遣の失敗〉
 
 さて、その頃高天原では、天照大御神アマテラスオホミカミが諸々の神々を集めて、極めて重大
な宣言を発表しました。
 即ち、嫡男天之忍穂耳命アメノオシホミミノミコトを召し寄せ、こう仰せられました。
「豊葦原之トヨアシハラノ千秋チアキノ長五百秋之ナガイホアキノ水穂国ミヅホノクニは、わが御子正勝吾勝勝
速日マサカアカツカチハヤビ天之忍穂耳命アメノオシホミミノミコトの治めるべき国である。わが御子よ、直ち
にこの国に天降アマクダって、これを統治せよ。」
 天之忍穂耳命は、大御神と須佐之男命スサノヲノミコトとの誓約ウケヒによって生まれた第一子で
あり、その名も豊かに稲穂が稔ると云う意味を持つ、水穂国に相応しい神です。
 仰せを受けた命ミコトは、
「畏まりました。ご委任を受け、直ちに出発します。」
と、支度を調え、直ぐに高天原を発って、地上へ向かいました。
 途中、天の浮橋に立って、下界の様子を眺めますと、地上は国つ神たちが暴れ回って、
何やら騒がしげです。
「これでは、直ぐに天降っても、素直に私の統治に従うかどうか分からぬ。」
と考えた命は、そのまままた高天原に立ち戻って、
「水穂国は、どうも酷ヒドく乱れているようです。どうしたら宜しいでしょうか。」
と、下界の様子を報告し、支持を仰ぎました。
 
 高御産巣日神タカミムスビノカミと大御神は、顔を見合わせて、
「そんな様子では、何とか対策を考えなければなるまい。」
「神々を集めて意見を聴いてみよう。」
と、天の安河ヤスノカハの河原に、大勢の神々を集め、思金神オモヒカネノカミを中心として、会議が
開かれました。
「皆も知っているように、葦原の中つ国は、わが御子が治めるべき国と定め、統治権を
委任したものです。ところが、その国には猛々しい荒振る国つ神共が沢山いるらしい。
彼等を平定し、御子に従わせるためには、誰を派遣したら良いだろうか。」
 大御神の仰せに、思金神は大勢の神々と相談して、
「ご次男の天之菩卑能命アメノホヒノミコトを派遣されたらいかがでしょうか。」
と申し上げました。
「では、そうしよう。」
と云うことで、葦原の中つ国鎮定のために、まず天之菩卑能命を下界に遣わされました。
 ところが、この神は、大国主神オホクニヌシノカミに媚コび諂ヘツラって、三年経っても復命しませ
んでした。
 
 このため、大御神と高御産巣日神はまた、大勢の神々に、
「葦原の中つ国に遣わした天之菩卑能命は、とうとう何の役にも立たなかった。誰かも
っとしっかりした使者を立てなければなるまい。今度は、誰を遣わしたら良いと思うか
。」
と、質問されました。
 すると、思金神が、
「天津国玉神アマツクニタマノカミの子、天若日子アメワカヒコが適任であると存じます。」
とお答えしました。
 そこで、大御神は、天之麻迦古弓アメノマカコユミと天之波波矢アメノハハヤを天若日子に与え、
「この弓矢を以て、必ず葦原の中つ国を鎮定して参れ。」
と激励して、下界にお降しになりました。
 
 野心家の天若日子は、名を挙げる機会だとばかり、勇躍その国に降りましたが、降り
着いてみると、がらりと気持ちが変わってしまいました。
 そこには大国主神と云う統治者が居り、彼には下照比売シタテルヒメと云う美しい娘がいま
した。
 天若日子の胸には、彼等と事を構えるよりも、下照比売を妻として、大国主神の後継
者となり、この国を我が物にしようと云う野心がむくむくと頭を擡モタげました。
 そこで、大国主神に取り入り、首尾良く下照比売を娶って、この国に住み着いてしま
い、八年経っても高天原に復命しませんでした。
 
〈天若日子の死〉
 
 高天原では、痺シビれを切らした大御神と高御産巣日神が、またまた大勢の神々を集
め、
「天若日子も、どうした訳か長い間復命した来ない。今度は、誰かを遣わして、何故彼
があの国に留まっているのか、その理由を詰問させねばならぬ。誰が良いと思うか。」
とお尋ねになりました。
 思金神と大勢の神々は、いろいろ相談した挙げ句、
「鳴女ナキメと云う名の雉キジをお遣わしになったらいかがでしょょう。」
と、お答えしました。
 そこで二柱の神は、鳴女を喚んで、
「では、鳴女よ、お前が行って、天若日子にこう問い質して参れ。『お前を葦原の中つ
国に遣わした理由は、この国の荒振る神たちを説得し平定せよと云うことであった。そ
れなのに、何故八年間もの間、復命して来ないのか』と。」
と、仰せられました。
 
 命令を受けた鳴女ナキメは、高天原から葦原の中つ国に降って来て、天若日子の住む家の
門前の、清らかな桂の木の枝に止まり、天つ神の仰せ言ゴトを、しつこいくらい詳しく伝
えました。
 このとき、鳴女の言葉を聞いた天佐具売アマノサグメと云う女が、天若日子に、
「あの鳥の鳴く声はとても不吉です。あなたがご自身で射殺してしまった方が宜しい。」
と進言しました。
 佐具売は隠されたものを探る霊能者だったので、天若日子は、この言葉を信じて、天
つ神から戴いた天之波士弓アメノハジユミ、天之加久矢アメノカクヤを以て、鳴女を射殺してしまし
ました。
 ところがその矢は、雉の胸を射し貫いた挙げ句、なお高く高く天上に吸い込まれて行
き、遂に天の安河の河原にお出でになった天照大御神と高木神タカギノカミの処まで届きまし
た。
 この高木神と云うのは、高御産巣日神の別名です。
 
「何だ、これは。地上から飛んで来たものだぞ。」
 不審に思った高木神が、その矢を執ってご覧になりすと、矢羽根に血が付いています。
「これは、天若日子に与えた矢ではないか。皆見ろ。この血は一体どうしたことだ。」
 高木神は、大勢の神々にこの矢をお見せになって、
「もし天若日子が我々の命令通り、悪い神を滅ぼそうとして射た矢が、此処に届いたも
のであるなら、天若日子には中アタるなよ。もしまた彼に、高天原に背く悪心があるなら、
天若日子よ、この矢によって禍いを受けよ。」
 そう仰せられて、その矢を執り、矢が飛んで来たその穴から、下界目掛けてひゅっと
投げ返されました。
 高木神の呪文を受けた矢は、未だ朝寝の床の中に居た天若日子の胸にぶっつりと突き
立ち、天若日子は忽ち即死してしまいました。これが世に云う返しの矢の起こりです。
 また、このとき高天原からお使いとなった雉の鳴女は行ったきり帰りませんでした。
それで、今でも諺に、帰って来ない使いのことを「雉のひた使い」と云いますが、その
起こりはこのことなのです。
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