06 わが国の神話「葦原中国」
 
  [国造り(一)]
 
〈大蛇ヲロチ退治〉
 
 高天原で数々の乱暴を働いた須佐之男命スサノヲノミコトは、遂に天照大御神アマテラスオホミカミの岩
戸隠れと云う最悪の事態を引き起こしました。神々はその罪を責めて、命ミコトを高天原か
ら地上へ追放しました。
 こうして高天原を追われた命ミコトは、出雲イズモの国肥河ヒカワの川上にある鳥髪と云う処
に降クダられました。
「さて、これからどうしたものか。」
 川岸の岩に坐って流れる水を眺めながら、どっちへ行こうかと思案していた命は、は
っと目を凝らしました。
 川上から箸ハシが流れ来たのです。
「箸だ・・・・! 川上に誰か住んでいるのだな。行ってみよう。」
 命は勢い良く立ち上がると、ずんずん川を遡って行きました。
 
 すると、まもなく老人と老女が一人の美しい娘を間に置いて、泣いているのに出会い
ました。その様子があまりに悲しげなので、つい、
「どうした。お前たち。」
と、声をかけると、老人は驚いて顔を揚げました。
「何を泣いている。」
 命は優しく尋ねますと、老人は涙を拭いながら、
「はい、旅の御方。どうぞお聞き下さいませ。私は国つ神、大山津見神オホヤマツミノカミの子、
足名椎アシナヅチと申します。ここに居りますのは妻の手名椎テナヅチと、娘の櫛名田比売クシナ
ダヒメでございます。」
「その国つ神の子らが、どうしてこんなに悲しげに泣いているのだ。」
「実は私の娘は、元々八人も居りました。ところが、高志コシの八俣遠呂智ヤマタヲロチと云う
恐ろしい怪物が、毎年遣って来ては、一人ずつ娘を食べてしまうのです。今年もまたそ
の遠呂智ヲロチの来る時節になりました。たった一人残ったこの子まで食われてしまうかと
思うと悲しくて、この子が哀れで、こうして親子で泣いていたのでございます。」
 
 命は、眉を顰ヒソめました。
「その八俣遠呂智と云う怪物は、どんな奴なのだ。」
「はい。何とも恐ろしい奴で、その眼は真赤な酸漿ホオズキのようで、一つの胴体に、八つ
の頭と八つの尾を持つと云う年古りた大蛇ヲロチでございます。身体中には苔が生え、桧や
杉まで生えています。その長さは八つの谷、八つの峰に跨マタガる程で、その腹は、何時
も一面に血に濡れて爛タダれているのです。」
 老人は思い出すのも恐ろしいと云うように身体を震わせました。娘はひしと老女の膝
に執り縋スガって泣いています。
 
 その様子をじっと見つめていた命は、暫く思案していましたが、やがて、きっぱりと
言いました。
「よし、その大蛇は私が退治して遣ろう。」
「えっ、あなた様が − 。」
「うむ、その代わり・・・・・・」
と、命は娘の方を振り向きながら、
「櫛名田比売と言ったな。この娘を私に呉れないか。」
「えっ。」
 老人は、はっと命を見上げると、
「畏れ多いお言葉でございますが、私共は未だ、あなた様の御名前も存じ上げませんの
で。」
と、畏る畏る応えました。
「そうだったな。未だ私の名を告げていなかった。私は天照大御神の同母の弟、須佐之
男命だ。今、高天原から天降って来たところなのだ。」
 命が凛リンとして名乗ると、忽ち老人は平伏して、
「そのような尊いお方とは知らず、失礼しました。娘は喜んで差し上げます。」
と、答えました。
 老女も娘も、凛々リリしいこの命の姿を頼もしげに見上げています。
 
「では早速、大蛇退治の手筈を決めよう。まず櫛名田比売を隠してしまわなければなら
ぬ。」
 命はそう言って、姫を清らかな爪櫛ツマグシに変身させ、それを角髪ミヅラに結った自分の
髪にしっかりと挿しました。それから、足名椎と手名椎に、
「お前たちは、何度も繰り返して醸カモした強い酒を造れ。それから、この辺りに垣を結
い巡らして、その垣に八つの入口を作り、入口毎に八つの桟敷サジキを作っておけ。桟敷
には一つずつ酒を入れる船を置くのだ。船には、醸した強い酒を一杯に満たしておけ。
用意が出来たら、どこかに隠れて待っているがよい。」
 てきぱきと指図する命の言葉に従って、足名椎夫妻は全ての用意を調え、物陰に隠れ
て待っていました。
 
 やがて、足名椎の言葉通り、天地を揺るがすような音を立てて、八俣遠呂智が遣って
来ました。
 真赤な酸漿ホオズキのような眼を光らせた遠呂智は、酒の匂いに惹かれて、八つの酒船に
八つの頭を差し入れると、がぶがぶ、酒を飲み始めた。強い酒は、忽ち遠呂智の全身に
回り、さしもの怪物も酔いしれて、そのまま倒れるように眠り込んでしまいました。
「今だ!」
 命は、腰に帯びていた十挙剣を抜き放つと、遠呂智に迫り、その体をずたずたに切り
裂いてしまいました。
 肥河の水は、遠呂智の流す血に染まって、真赤になって流れました。
 
 遠呂智ヲロチの体の中程を切ったとき、命の剣がカチリと何かに当たって、刃が欠けてし
まいました。
 不思議に思って、剣の先で尾を切り裂いて見ると、見事な都牟刈之大刀ツムガリノタチが出
て来ました。あまり立派な太刀なので、命は、事情を申し上げて、天照大御神にその太
刀を献上されました。
 これが、今に伝わる草薙クサナギの太刀タチなのです。
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