05 [須佐之男命]
 
〈須佐之男命スサノヲノミコトの追放〉
 
 伊邪那岐命に命ぜられた三柱の御子たちは、こうして、それぞれに委せられた国を治
めに行くことになりましたが、その中で速須佐之男命ハヤスサノヲノミコトだけは、どうした訳か、
命ぜられた海原の国へ行こうとしませんでした。
 そのうち年月が経ち、速須佐之男命の髭が、八握りになる程も長く伸びて垂れ下がっ
てしまいました。そんな大人になっても、まるで子供のように、わんわん泣き喚ワメいて
ばかりいます。
 その泣く有様は、大変な激しさで、青々とした草木が生い茂っている山々も、全て枯
木の山になってしまう程で、また、波立ち騒ぐ海や川も、その泣声に乾いてしまい、一
滴の水も無くなってしまう程の有様でした。
 そのため、国々の禍いを齎モタラす悪い神等はこのときとばかりに騒ぎ始め、恰も五月の
蝿がぶんぶん湧き出して、辺り一面に満ち溢れるように、様々な悪鬼や悪霊など、あり
とあらゆる禍いが、至る処に起こり出しました。
 
 伊邪那岐命は、これを見て、
「私は、お前に、海原の国を治めるように命じ、その仕事を任せたのに、お前は何が不
満で、そんなに地団駄踏んで泣き喚いているのだ。」
と、尋ねました。
 すると、須佐之男命は、
「私は、妣ハハの国へ行きたいのです。そこへ行って、亡くなった母君にお会いしたいの
です。それで私は、こうして泣いてばかりいるのです。どうか私を、地の底にある根の
堅州国へ遣らせて下さい。」
と、言いました。
 死んだ者しか行けない根の堅州国へ行ったら、もう二度とこの世へは帰って来られま
せん。須佐之男命は、そんなことは知らず、ただ、亡くなった母が恋しくて泣き喚いて
いるだけで、まるで聞き分けのない幼い子供と同じです。
 
 伊邪那岐命は遂に腹を立てて、
「そんな我侭を言うのなら、私は何も知らん。お前の好きなようにするが良い。もうこ
の国に住んではならんぞ。」
と、厳しく叱り付け、須佐之男命をこの国から追放してしまいました。
 この伊邪那岐命は、後に淡路の国の多賀の神社にお祭りされるようになりました。
 
 さて、この国を追放された須佐之男命は、
「そう云うことならば、私は、姉君の天照大御神の処へ行って、訳を申し上げ、お暇乞
いをして、亡き母君のいる妣ハハの国へ参りましょう。」
と、言って、姉君が治めている、天上の世界の高天原へと昇って行きました。
 ところがその途中、荒々しい須佐之男命の足音で、山や川は悉く鳴り響き、まるで地
震のように揺れ動きました。
 
 天照大御神アマテラスオホミカミは、弟が追放されたことは知っていましたが、そんな荒々しい
振る舞いをして来るのに驚き、
「私の大事な弟ですが、わざわざこうして高天原に昇って来るのは、きっと邪ヨコシマな心
からでしょう。私が治めているこの国を、奪い取ろうとして遣って来るのに違いない。」
と、仰って、そのような荒々しい弟に立ち向かうために、早速身なりを男の姿に整えら
れました。
 まず、髪を解ホドいて二つに分け、男の髪型である角髪ミヅラに結い直し、その髪が乱れ
ぬように縛った鬘カヅラにも、また、左右の手にも、それぞれに、五百箇の勾玉を連ねて
作った長い玉飾を着けました。
 
 更に、背中に、千本の矢を納めている矢筒を背負い、脇腹にも、五百本の矢を納めて
いる矢筒を帯びました。
 更にまた、左の手首には、矢を放つときに、強い弦の音が出るように竹の鞆トモを巻き
付けました。
 こうして勇ましい男神のお姿になった天照大御神は、手に握った弓を振り立て、力強
く大地を踏み締めると、両足はまるで腹まで沈むようでした。
 それから、泡雪を蹴散らすかのように、大地の土を跳ね返しては、踏み締め踏み締め、
少しも恐れる様子もなく、弟が昇って来るのを待ち受けていました。
 
 やがて、高天原に昇って来た弟に向かって、
「お前が、こうして私の治めている国へ遣って来たのは、一体どう云う訳なのですか。」
と、厳しい声で問い質しました。
 すると、須佐之男命は、
「私は、何も邪ヨコシマな心を以て、この国へ昇って来たのではありません。勿論、姉君に
背くような気持など、少しもありません。私は、どうしても姉君にお会いしたくて遣っ
て来たのです。その訳を申し上げましょう。
 父君の伊邪那岐大神が、私が泣き喚いているので、
『どうしたのだ。』
と、その訳をお尋ねになりました。それで私は、
『妣ハハの国へ行って、亡くなった母君にお会いしたいのです。』
と、申し上げると、父君は、
『それでは、この国に住んではならぬ。何処へでも行ってしまえ!』
と、仰って、私は追放されてしまいました。
 私は、どうしても妣の国へ参りたいのです。でも、その前に姉君にお会いして、お別
れの挨拶をしようと思い、こうして高天原に昇って来たのです。
 誓って申し上げます。それ以外に、私は何も隠していることなどありません。
 勿論、姉君に背く心など、少しもありません。」
と、申し上げました。
 
 天照大御神は、その言葉を聞いて、
「お前は、口ではそう言うけれども、これまでのお前の振る舞いを見ていると、直ぐに
は信じられません。お前が、本当に何も隠していない清らかな心を持っていることを、
どうしたら知ることが出来ましょうか。」
と、仰ると、須佐之男命は、
「それでは、姉君と私と二人で、神に誓いを立てて、誓約ウケヒをすることにいたしましょ
う。そうして、神の御意のままに、それぞれに子供を生んで、その子供によって、私の
心が清らかであるかどうか、判断することにしたらいかがでしょうか。」
と、申し上げたので、天照大御神は、頷いて、
「それでは、そうすることにしましょう。」
と、仰って、二人は固い約束をしました。
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