040020当麻寺
 
                    参考:小学館発行「万有百科大事典」ほか
 
〈当麻寺タイマデラ〉
「麻」
 @大麻タイマ・苧麻カラムシ・黄麻・亜麻・マニラ麻などの総称。また、これらの原料から製した
繊維。糸・綱・網・帆布・衣服用麻布・ズックなどに作る。お。
 Aアサ科の一年草。中央アジア原産とされる繊維作物。茎は四角く高さ1〜3m。雌雄異
株。夏、葉腋に単性花を生じ、花後、痩果(おのみ)を結ぶ。夏秋の間に茎を刈り、皮
から繊維を採る。実は鳥の飼料とするほか、緩下剤として摩子仁丸の主薬とされる。紅
花・藍と共に三草と呼ばれ、古くから全国に栽培された。ハシシュ・マリファナの原料。
大麻・あさお・お。
 
「当麻寺」
 当麻寺は、奈良県北葛城郡当麻町にある。この寺は、土地の豪族当麻氏の寺として天
武朝に創建されたと考えられる。その後いわゆる天平系七堂伽藍が整った。更に天平宝
字七年(763)大きな浄土変画像(伝中将姫蓮糸レンシ曼陀羅)が造られ、引き続いて現本
堂(曼陀羅堂)の前身の建物も建てられるに及んで、当麻寺は浄土信仰の霊場へと変わ
って行った。殊に治承四年(1185)平家の南都焼打による余波が此処にも及んで、大き
な災害を受けた後、鎌倉時代の復興は専ら蓮糸曼陀羅信仰に厚い浄土宗系の手で進めら
れた。特に応安三年(1370)には京都知恩院第十二世の誓阿晋観が、現本堂の西に奥ノ
院を興して円光エンコウ大師(法然)像を安置した。
 
 一方この寺には古くから弘法大師留錫の伝もあり、結局真言・浄土の両宗を兼ねるよう
になり、南北朝の1343年以来両宗が毎年交替で輪番するようになって、今日に及んでい
る。
 子院のうち首位にある真言宗の中之坊は、江戸時代に片桐石州セキシュウの造営した茶室や
庭園で知られる。また「当麻寺のお練ネり」で知られる聖衆ショウジュウ来迎ライゴウ練供養
ネリクヨウ会式エシキ(毎年五月十四日)は、来迎引接インジョウの様を演劇的に再現する珍しい行
事として有名である。
 
 国宝の本堂(藤原)は曼陀羅堂とも呼び、元天平末・平安初期に建った七間四間、入母
屋造の堂宇のうち七間三間分を内陣に組み入れ、前に同規模の礼堂ライドウを付し、両方を
取り込む寄棟造の大屋根を架けたのは永暦二年(1161)であった。堂の外周には鎌倉時
代の改修部を見るが、内陣の二重虹梁コウリョウ蟇股カエルマタ構架を始め、仏壇・厨子(国宝・天
平)共に創初の遺構であり、特に厨子内面の天井・柱・大輪ダイワなどに天平様の泥絵デイエ
や金平脱キンヘイダツ文様が発見された。なお厨子正面の大扉には仁治三年(1242)に蓮池図
蒔絵が、仏壇には寛元元年(1243)に螺鈿装飾がそれぞれ施された。東西両塔(天平)
は共に三重塔で、西塔の方がやや新しいが、東西両塔の完存する唯一の遺構である。相
輪には八輪しか見られず、水煙は西塔のものが特に美しい。
 金堂(藤原)は重文で、現在の堂は寿永三年(1184)流板葺ナガシイタブキとして建立した
ものを、鎌倉時代の正中三年(1336)に大改造を加えたものらしい。講堂(鎌倉)は乾
元二年(1302)の再建で、金堂と共に天平風復古建築である。
 
 彫刻では国宝の塑造弥勒仏坐像(白鳳)が創建以来の金堂の本尊で、丈六の巨像であ
り、また最古の塑造仏である。他に金堂安置の乾漆四天王立像(白鳳、多聞天のみ鎌倉
の後補で木造)や、宝冠阿弥陀の系統を引く珍しい作例、木彫の紅玻璃グハリ阿弥陀坐像
(藤原)などの諸像がある。
 
 綴織ツヅレオリ当麻曼陀羅図(国宝)は、天平時代の浄土変相大画像(391×397p)とし
て稀有のものであるが、現状は腐朽が甚だしく、建保七年(1219)作成された第一回転
写本(建保曼陀羅)の上に貼り付けて残したものと推定されている。他に文亀二年(
1502)転写の文亀曼陀羅と、貞享二年(1685)転写の貞享曼陀羅が重文に指定され、現
在は後者が厨子に安置されている。他に絵画では絹本着色『当麻曼陀羅縁起』三巻(室
町)、紙本着色『法然上人行状絵巻』四十八巻(鎌倉)がある。
 
 工芸では梵鐘ボンショウと奥ノ院の経箱が国宝である。梵鐘は上帯に鋸歯文キョシモン、下帯に
忍冬ニンドウ唐草文を鋳出したもので、天平期の代表的な銅鐘の一つである。倶利伽羅竜
クリカラリュウ蒔絵経箱は蓋の表に金銀蒔絵で浪中の岩上に倶利伽羅剣を立て、左右に二童子を
配する図様を美しく表した、藤原末期の漆芸の優品である。他にわが国最古の石灯篭(
白鳳)や、押出銅造三尊仏像(天平、奥ノ院蔵)、朝鮮高麗時代の唐草合子ゴウスなどが
ある。
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