02c 京都歳時記[花鳥風月]その一
 
〈五月〉
 
△五月
 五月待つ山郭公ヤマホトトギスうちはぶき 今も鳴かなん去年コゾの古声(古今集)
                                  読人知らず
 いつの間に五月来ぬらんあしひきの 山郭公今ぞ鳴くなる(古今集) 読人知らず
 
△首夏・初夏
 花鳥も皆ゆきかひてむばたまの 夜の間にけふの夏は来にけり 紀貫之
 
△郭公
 ゆきやらで山路くらしつほととぎす 今一声の聞かまほしさに 源公忠
 小夜ふけてねざめざりせばほととぎす 人づてにこそきくべかりけれ 壬生忠見
 
△あやめ
 打しめりあやめぞ香る郭公ホトトギス 鳴くや五月の雨の夕暮(新古今集) 藤原良経
 何事とあやめはわかで今日も猶 袂タモトにあまるねこそ絶えせね(新古今集)紫式部
 
△橘
 五月サツキ待つ花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする(古今集) 読人知らず
 誰かまた花橘に思ひ出イでん 我も昔の人となりなば(新古今集) 藤原俊成
 
△牡丹
 むらさきの露さへ野辺のふかみ草 たがすみすてし庭のまがきぞ 藤原家隆
 夏木立庭の野すぢの石のうへに みちて色こきふかみ草かな 慈鎮
 
△青葉
 散りにける花のふるすはこがくれて 青葉の山にまよふうぐひす 後一条入道関白
 今はまた花も嵐も夏山に 青葉まじりの峰の白雲 藤原家隆
 
△葵祭アオイマツリ
 雲井よりたつるつかひに葵草 いくとせかけつ賀茂の川波 後京極摂政
 雲の上をいづるつかひのもろかづら むかふ日かげにかざす今日かな 藤原定家
 
カキツバタ カキツバタは北区上賀茂本山の大田沢には古代から野生し,五月に径12p
 程の濃紫色の花が咲き,国の天然記念物に指定されています。また,其処から東の方
 へ700m程行きますと深泥池ミゾロガイケがあり,此処の浮島には白のカキツバタが多い。
 右京区梅津フケノ川町の梅宮大社の庭の大きな池にも種々のカキツバタがあります。
 花が大きく美しいので歌や絵画,文様などに用いられました。わが国全土・朝鮮・中
 国東北部・東シベリアに野生します。
 
 神山や大田沢のかきつばた ふかきたのみは色に見ゆらん 藤原俊成
 
カキツバタの説話
 三河国の八橋ヤツハシと云う処がありました。その地は川が蜘蛛の形に分かれて,八つの
橋が架かっていたので,そう呼ばれているのです。在原業平がこの八橋の地に着いて,
沢辺の木陰において乾食カレイイを出し,旅の食事を摂りました。見ますと小川の辺ホトリに見
事なカキツバタが咲き匂っています。連れの人々が業平に和歌を強請ネダりました。「か
きつばたと云う五文字を,五七五七七の各句の頭毎に据えて,旅の心を詠んで下さい」
と云います。そこで一首「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをし
ぞ思ふ」。人々はこれを聞いて旅愁が胸に迫り,はらはらと涙をこぼしました。その涙
が乾食に掛かり,乾燥した米がふっくらとしたと云います。この説話は「伊勢物語」で
有名ですが,「今昔コンジャク物語」にも載せられ,主人公は業平とされています。
 
フジ 京都の周辺にはフジが多い。他木に巻き付いて高く登り,五月には当年の枝の先
 に20〜90pの総状花房をぶら下げます。基部から先の方へ花が咲いて行きます。花は
 紫色から淡紫色で,大変美しい。観賞用には藤棚が作られます。フジの花は古くから
 絵画や文様に用いられます。奈良の春日大社には多い。本州・四国・九州に野生しま
 す。
 
 よそに見て帰らむ人に藤の花 はひまつはれよ枝は折るとも(古今集) 僧正遍昭
 わが宿に咲ける藤波立ちかへり すぎかてにのみ人の見るらむ(古今集)凡河内躬恒
 かくてこそ見まくほしけれ万代ヨロズヨを かけてにほへる藤波のはな(新古今集)
                                   宇多天皇
 
ツツジ 京都付近には野生のツツジ属の植物が多い。コバノミツバツツジ,シャクナゲ,
 サツキなど,最も多いのはヤマツツジとモチツツジです。ヤマツツジは四月下旬から
 六月に朱赤色から赤色の花が咲きます。ヤマツツジはわが国の至る処の山や岡の酸性
 地に普通で,高さ1〜3m,春に出た葉は冬に落ちますが,夏から秋に出た葉が越冬
 し,半落葉,花は径3〜5pです。モチツツジは京都付近には崖などに極めて多く,
 花は四月下旬から六月に咲き,花は大きく径4〜6pの紅紫色,萼片が大きくて披針
 形,腺毛が多くて,触りますと粘るのでモチと云い,半落葉低木で中部地方以西・四
 国に分布します。ヤマツツジとモチツツジとの雑種をミヤコツツジと云います。市内
 で最も多く植えてあるのがオオムラサキで,これも半落葉低木,冬にも葉があり,花
 は四月下旬から五月,紅紫色の径6〜7p,江戸時代からある雑種起源で,九州から
 出たようです。
 
 かざはやのみほの浦わの白つつじ 見れどもあかずなき人思へば(万葉集)
                                  読人しらず
 初瀬川岸の岩根の白つつじ 知らじな人は身にこふるとも 俊頼朝臣
 
ノイバラ ノイバラは,京都の周辺の野原によく見かけ,白い五弁の花が枝の先に群が
 って咲きます。刺のあるものは何でもイバラですが,野に普通にありますのでイバラ
 の代表格でノイバラとなりました。中国において薔薇ショウビと云うのはノイバラの変種
 で,花が少し大きくて淡紅色のツクシノイバラです。その実は漢方の営実です。ノイ
 バラは園芸品種のバラの片親ですし,バラの台木としてテリハノイバラと共に世界の
 立派な品種を咲かせています。セイヨウバラは現在はわが国では大変愛好者が多く,
 五月は花盛りです。
 
タニウツギ タニウツギは,京都周辺の山地の日当たりのよい処,新しく崩れた崖など
 に生えやすい。落葉低木で枝がよく伸びて斜上します。五月に桃色の筒状花冠を多数
 付けて美しい。比叡山には多い。北海道から本州では日本海岸の諸県に分布します。
 ウツギと云うのは空木ウツギで,材に穴が空いているからですが,タニウツギは花が筒
 状のスイカズラ科です。庭に植えるハコネウツギもタニウツギと同属です。
 
カツラ 葵祭の行列の人々は,身体にアオイとカツラの枝とを着けます。カツラは水湿
 のある渓谷林に生える落葉樹で高さ30mに達します。葉は卵楕円形で四月〜五月頃,花
 弁のない花が咲き,雌雄異株です。京都市では貴船神社の裏に野生する大木を天然記
 念物として,タカオカエデ,シダレヤナギと共に指定しました。カツラに桂の字を用
 いますが,中国においては桂は肉桂つまりニッキ(シナモン)のことです。奈良時代
 から桂の字を用いていますので今更改める訳にもいきません。
 
カモアオイ(フタバアオイとも) 葵祭の行列の人がアオイを翳カザしとするのは,「枕
 草子」にも書いています。カモアオイは加茂神社の紋ですが,どうして紋となったの
 か明らかではありませんが,わが国の紋章の始まりとも思えます。徳川家は葵紋を用
 いました。カモアオイは木陰に生える多年草で,本州福島県以南・四国・九州に野生
 します。五月に二葉フタバの間から1個の花柄が出て,その先に一花を付けます。漢字
 では葵と書きますが,中国の葵は食用に栽培するフユアオイで全く違います。カモア
 オイは人は食べません。奈良時代に誤って葵の字を当て,「源氏物語」にど日本文化
 に定着して,今では改め難くなりました。
 
 いかなればそのかみ山の葵草 としはふれども二葉なるらん(新古今集) 小侍従
 
ウツギ ウツギは山野の小川の縁など,日当たりの良い処に普通な落葉低木です。時に
 生垣として植えられます。北海道〜九州,中国まで野生します。眩マバユい程白い五弁
 の花を枝一杯に付ける,ユキノシタ科の植物です。枝や葉には小さい星状の毛があり,
 手で触りますとざらざらしています。ウツギは空木ウツギのことで,枝の中に穴がある
 からです。またウノハナとも云いますが,卯月ウヅキ即ち陰暦四月の花の代表なのです。
 五月〜六月に咲きます。ウツギは花弁の八重のものや,八重で紅を帯びた園芸品種も
 あります。
 
 この頃は桜が枝に雲はれて 卯の花垣に月を見るかな 慈鎮
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