05c 和菓子のあゆみ
 
〈一つの菓子の中に生きる命〉
 
和菓子の歴史を振り返って見ますと,日本人は大変考案力に優れ,海外から来た菓子な
どはどんどん日本人に合うように変えて行ったことが分かります。前述の唐菓子8種,
果餅14種,羹もの48椀なども,わが国に適するものに変えて行きました。羹ものは,元
々動物の肉が加工されたものでしたが,わが国に輸入されますと宗教的な理由から穀物
で作られるようになったのです。
 現在,上海などで年ネン羔カオ(米扁+羔)(春節の点心)に食されているものの中には,
古く唐菓子にその姿を見るものがあります。また春日大社の神饌として現在に伝えられ
ているものの中には,餃子の原型を知ることが出来ます。
 このような変遷を見ますと「団子」「粽チマキ」「饅頭」も外国にルーツがあり,わが国
の菓子となるまでには,長い歴史や考案があったのです。また餃子の包み方を取ってみ
ても,現在の中国には,茶巾絞り風で袋形,船形,桝形など100以上の包み方があります
が,わが国の菓子の包み方と実によく似たものがあり,日本流の包み方の原型になった
のではないかと思われます。
 
 一方,ポルトガル,スペインからは,小麦粉や卵,キャンディ類がわが国に入り,長
崎出島や平戸でその製法が伝えられました。「カステラ」はわが国において生まれた卵
菓子であり,「鶏卵素麺」は日本的味覚で作られたものでした。南蛮渡来で日本育ちの
菓子と云えるでしょう。
 わが国は小さい国ながら四季に変化があり,春夏秋冬の風物は様々なものを生み出し
ました。その自然の中から菓子も作り出され,考案されたて来たのです。春は花,夏は
緑葉,秋は紅葉,冬は雪と詩歌に詠まれるように,菓子にも四季様々の趣を採り入れて
来たことは,矢張り豊かな国である証左なのかも知れません。
 しかしわが国においても,四季の変化を大きく感じない土地もあります。沖縄など南
の国は,夏や春はありますが秋や冬が殆どなく,また北の国では,長い雪の生活が終わ
ると花々は一斉に開花します。このように北と南には大きな違いがあります。
 
 更に,東北・関東地方の味覚と,関西地方の味覚が異なることは,生活の違いにある
とも,その土地で産出される材料にあるとも云われます。
 材料が良いことは,菓子の良さを決定する絶対的なもので,デザインやアイデアがよ
く技術が優れていても,材料の良し悪しによって大きく変化を見せます。材料がよくな
ければ良いものは生まれません。
 かつて菓子作りには,丹波の大納言小豆や栗,大和のえんどう豆や空豆,河内の小麦,
水尾の柚,備中の白小豆,四国の和三盆,若狭の寒天,吉野の葛・・・・・・と歴史のある本
場の材料を用いることが多かったのですが,現在では日本国中,或いは世界各国から材
料が集められるようになって来ています。古い時代は材料の精製が極上ではなかったか
も知れませんが,反面そのもの本来の良さが活かされていました。菓子本来の味の良さ
は,その土地の材料を基に工夫され,時代を経て培われて来たことによると思うのです
が,このことにも時代の変化を見ることが出来ます。
 また,手作りによるものが少なくなって来ています。ある菓子作りの職人は,餡玉を
二つに割って中を見て,不純物や色の濃度から餡の精度を瞬時に見分けて包んで行きま
す。この職人の手に,機械では出来ない手際の良さを発見し,感心したことがあります。
このような技術者が少なくなって行くことは残念なことです。
 
 現在は北の国から南の国に至るまで,時代の要求によって味覚が変わってしまい,流
行によって包装も一連化されてしまう恐れがあります。
 勿論,全国共通の菓子が生まれても良いのですが,歴史のある名物の菓子が時代の流
れに呑まれ,ややもしますと情緒のないものになってしまい勝ちです。それは衛生の面
から来ていることもあるでしょう。また流行に遅れまいとする心もあるのでしょう。し
かし古い姿の中に近代的な姿を見ることも必要であると思います。
 前述しましたようにわが国の菓子は,世界においても特別な個性と独特の形を持ち,
その姿の美しさは五味五感を唆ソソるものです。その伝統を伝えるものとして,菓子の原
型を記した優れた画帳が残されています。江戸時代,菓子の図柄の意匠には円山応挙な
ど四条派の優れた画家が絵筆を奮っておりました。
 「菓子の発達史は,また文化の発達史であると云える。菓子の普及状態や,その種類
や形態を見れば,文化の程度が分かる。菓子は地方により,個人によって特色のあるの
は云うまでもないが,文化の高さ,趣味の程度を測る目安にもなる。菓子があまり発達
し過ぎて,必要以上に技巧を凝らし,過剰にとらわれるていると嘆く人がある。しかし,
これは菓子ばかり飛び離れてそうした状態にあるのではない。文化現象の一つとして菓
子もまたそのようなところへきたのである。有害と有効との境は,物それ自身であると
云うよりも,使い手にあるのだ」
 このような趣旨で書かれた文に以前接したことがあります。時代は変わらず,この文
を以て何事も伝えられるようであります(以上,原筆者鈴木宗康氏)。

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