35 植物の世界「日本沿岸の海藻フロラ」
植物の世界「日本沿岸の海藻フロラ」
参考:朝日新聞社発行「植物の世界」
アメリカとカナダの太平洋沿岸,オーストラリアとニュージーランドの南岸,南アフ
リカ沿岸,それに日本沿岸が世界において最も海藻カイソウが豊富に生育する海域と云われ
ます。中でも南北に長い海岸線を持ち,寒流と暖流が洗う日本沿岸には豊かな海藻フロ
ラ(海藻相)が成立し,緑藻リョクソウ260種余,褐藻カッソウ370種余,紅藻コウソウ約900種,合計
1500種余の海藻が生育します。
海藻の生育・分布に深い関わりを持つ要因は,日長ニッチョウ時間と海流がもたらす海水温
度です。わが国の太平洋沿岸を例に採りますと,北海道から東北地方には寒海性のコン
ブ属が豊富に生育しますが,宮城県金華山キンカザン沖を過ぎますと急激に減少して値体も
小さくなり,福島県沿岸では更に減少し,茨城県日立市付近では年により出現したり,
しなかったりとなります。そして千葉県銚子市の銚子半島以南には分布しません。
沿岸を流れる親潮寒流(千島海流)と密接な関わりを以てコンブ類が分布しているこ
とが分かります。われわれが見るコンブは胞子体で,配偶体は顕微鏡的な糸状体シジョウタイ
です。種子植物のキクやイネなどと似て,配偶体は短日タンジツ性です。卵細胞や精子の形
成に適する日長の時期に,海水温度が関東地方以南では高過ぎると云う訳です。これに
対し,北海道や東北地方沿岸は親潮寒流の影響が強いので,海水温度は生殖器官の形成
に都合が良いと云うことになります。
〈海流と海藻フロラの関係〉
日本近海を流れる親潮寒流は,オホーツク海及びベーリング海に起源を持ち,千島列
島に沿って南下し,納沙布ノサップ岬沖を経て夏は金華山沖に達し,その先は潜流となりま
すが,冬は銚子付近まで影響が及ぶと云います。これに対し,台湾の東方沖より北上す
る黒潮暖流(日本海流)は,一部は東シナ海に流れ入りますが,本流は南西諸島に沿っ
て北上します。一部は更に支流の対馬ツシマ海流となり,本州の日本海沿岸を北上して北海
道西部に及びますが,本流は九州南端,紀伊半島,東海地方沖を北東に進み,やがて房
総半島南端沖から本州を離れて太平洋の中央部に流入します。
日本沿岸の海藻フロラは,前述の寒流・暖流と密接な関わりを持っています。岡村金
太郎(1931年)はわが国の海藻相を亜寒帯相,温帯相,亜熱帯相の3相に分け,更にわ
が国の沿岸を海藻の分布から5区域に分けることを提案しましたが,その見解は現在に
おいても当てはまります。
第Tの区域は千島列島から宮城県金華山に至る沿岸で,此処には褐藻のコンブ科やヒ
バマタ属,紅藻のオキツバラやノコギリヒバなど純寒帯性とも云うべき海藻が豊富に生
育します。大型の海藻が多く,海底の景観は高木の森林を想わせます。
第Uの水域は金華山から宮崎県の日向ヒユウガ大島に至る沿岸で,この区は温帯性の海藻
である褐藻のアラメ,カジメ,ワカメ,ヒジキ,ホンダワラ類,紅藻のマクサ(テング
サ),ツノマタなどが豊富に生育します。海底は,発達した草原に低木の群落があると
云った景観です。この区域の金華山から銚子半島に至る沿岸は寒流の影響を受けるため,
北部においてはコンブ属が生育し,銚子半島においても寒帯性の褐藻であるマツモの生
育が見られます。対照的に紀伊半島,伊豆半島,房総半島,伊豆諸島などは暖流の影響
を受けますので,亜熱帯性の緑藻のアオモグサ,ヘライワヅタ,スリコギヅタ,タマゴ
バロニアなどが生育します。
第Vの区域は日向大島から九州南端を経て長崎県の野母崎ノモザキに至る沿岸,及び南西
諸島,小笠原諸島などで,此処は緑藻のイワヅタ類,サボテングサ類,カサノリ,ミズ
タマ,イソスギナ,紅藻のイソノハナ,イシノハナなどが多く生育する典型的な亜熱帯
性海藻相です。小型で美しい海藻が多く,動物のサンゴと相俟って,景観は高山のお花
畑を想わせます。
第Wの区域は野母崎から日本海沿岸に沿って津軽海峡に至る沿岸で,此処の海藻相は
第U区域と似ます。しかし種数は少ない。日本海の成立年代が太平洋より遥かに後であ
ることと,潮汐チョウセキの干満の差が極めて少なく,30p程度であることなどが種数の少な
い要因と考えられています。なお,日本海には褐藻のツルアラメ,スギモク,フシスジ
モク,紅藻のカタノリなど固有の海藻が生育します。
第Xの区域は津軽海峡より宗谷海峡を経た納沙布岬に至る沿岸で,此処は温帯性の海
藻が優占しますが,数種のコンブ類やアナメ,スジメなど寒帯性の海藻も見られます。
〈人工的な分布拡大〉
現在,浅草海苔として栽培されている種の殆どは,アサクサノリと同属のスサビノリ
です。この海藻は寒帯性の種類で,従来知られていた分布域は寒流の影響を受ける北海
道・東北地方から銚子付近に至る沿岸で,それ以南においては知られていませんでした。
しかし,今では全国至る処の内湾域において,栽培されいてるスサビノリを見ることが
出来ます。春に受精卵が分裂して出来た果胞子カホウシをカキなどの貝殻に蒔きますと,発
芽した果胞子は貝殻を穿孔センコウして糸状体となります。栽培業者は,海水温度の高い夏
の間は糸状体を室内で培養して保存し,日長が短くなり海水温度が下がる秋に貝殻を海
苔網と共に海中において養殖し,糸状体より放出された胞子からスサビノリの幼体を得
ます。この結果,冬から春にかけて,スサビノリは日本各地の内湾域において大きな群
落を作って生育することになります。
十数年前筆者(千原光雄氏)は神奈川県江ノ島から稲村ケ崎で,収穫したコンブを砂
浜の干し竿に掛けてあったのを見かけました。これも,室内で越夏させた配偶体の受精
卵から得たコンブの胞子体を,秋から春に土地の漁業関係者が海中で栽培したものでし
た。
褐藻類の代表的な生活環の様式にムチモ型がありますが,これは20世紀初頭に地中海
のヒラムチモによって明らかにされました。帯状で分枝を持つヒラムチモが配偶体で,
岩上にへばりつくように生育して別の海藻と思われていた殻状のアグラオゾニアが胞子
体で,両者の間で世代交代が行われると云うのです。このヒラムチモはわが国において
は全く知られていませんでしたが,近年,九州や四国の港湾において屡々採集されるよ
うになりました。海の帰化植物です。殻状のアグラオゾニア相の体が船底にへばりつい
て運ばれて来たのでしょうと考えられています。
これとは逆に,褐藻のタマハハキモクやワカメのように,わが国から他国へ分布を広
げた海藻もあります。最近,オーストラリアのタスマニア島やニュージーランドなどに
おいてワカメの人工養殖に熱心に取り組んでいる海藻研究者等がいます。従来,生育が
全く知られていなかったワカメが,沿岸に毎年見られるようになったからです(フラン
スのブルターニュ地方などでも生育が報告されています)。
既に養殖ワカメはわが国へ輸出されています。タマハハキモクと同様,ワカメも日本
と朝鮮半島にのみ生育が知られた海藻です。われわれが見るワカメは胞子体で,海水温
度の高い夏は顕微鏡的な大きさの糸状の配偶体で過ごします。高温度に適応性を持つ配
偶体が船底に付いて赤道を横切ったのでしょう。
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